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Petri MF-1 ealy model
 

PETRI MF-1前期型

 ペトリの一眼レフは、当初から他社のものに比べて格安ながら必要にして充分なスペックのものを売りにしていて、実際アメリカでも日本でも70年前後にはかなりの台数が売れたようです。ただ、60年代後期から80年代にかけて、各社の一眼レフモデルの開発がどんどん早いテンポになって行き、それに付いて行けないメーカーは徐々に脱落していくことになりました。ペトリも70年代半ばになると、安いだけではなかなか売れなくなってきていて、満を持して送り出したTTL-AE機のペトリFA-1を75年に出したものの、世の中の流れはオリンパスOM-1から始まるコンパクトで多様なシステム一眼レフへ向かっていて、TTL-AEも古典的な針押さえ式シャッター優先モデルから、電子シャッターを用いた絞り優先式が当たり前になってきました。それに追い討ちをかけるように、キヤノンが生産性に革命的な向上をもたらした大ヒット作のAE-1を安価で発売するに当たり、ほとんどFA-1は見向きもされなくなってしまいました。

 そんな状況下で、何とか販売を伸ばさねばならないペトリは、国内販売よりも海外向けのモデルに照準を合わせ、欧米では未だにPマウントが根強く使われていた点から、様々なM42モデルを作って、なりふり構わないような状態で販売店に売り込んでいたように思えます。しかし、そうは言ってもオリンパスOMシリーズやキヤノンAE-1が売れに売れているのを黙って見ていた訳ではなく、コンパクト一眼を一から設計していました。そして76年に奇しくもペンタックスME/MXとほぼ同時にペトリは同じような大きさのMF-1を送り出しました。
 MF-1はスペック的には前時代的なものでした。すなわちCdSメーターを用いたTTL絞込み測光で、レンズマウントは国内ではそれまでのスピゴットマウントからM42に切り替えて、海外向けに発売していたシステムと共有できるようにしていました。もちろん、従来のペトリマウントのモデルも併売されていましたが、この頃はM42マウントでもTTL-AEをシャッター優先で機械的に達成させたモデルを輸出向けに完成させていました。ですから、後日これらを統合して行く可能性もあったように思えますが、とりあえずここでは原点に戻る形で、とにかくシンプルで軽量コンパクトなモデルをまずは作った訳です。自分がカメラ小僧だった頃にこのMF-1を見た時、巻き上げレバーが見えない位置にあることが不思議でならず、シャッターボタンもAE-1のようにシャッターダイアルの中心部に置かれているので、何か軍艦部上が寂しく思えたものです。しかし、大変小さくてプリズムカバーが鋭角になったデザインは、実は嫌いではなくて、長らくの間一度は使ってみたいカメラの一つでした。結局、MF-1と出合えたのは、Web上で親しくなったカメラ仲間の方が、MF-1の出物を教えて下さり、2台を一緒に購入した10年ほど前のことになります。その際に入手したのがこの初期のモデルと下の後期モデルでした。
 初期のモデルは比較的数が少なく、特徴としてはシャッターボタンが黒く仕上げられているのが目立ちます。また、底蓋に電池Boxがあるのですが、その蓋が金属製で、ネジ込む形で取り外しするようになっています。電池の収まる筒はプラスチックなので、蓋の強度に負けて簡単に亀裂が入るために、やはり問題になったのか、すぐにバヨネットのように噛み合わせるものに変更されました。

 

PETRI MF-1後期型

 前期型から一部のパーツだけ変更して、ほぼそのまま販売されていた後期モデルは、今でも良く見かけます。標準レンズはPetri C.C Auto 50mm F1.7で、海外向けには廉価版の45mm F2.8も同じ鏡胴を用いて売られました。この末期のレンズは、FT II系のM42モデルの最後の頃のモデルと似た外観になっていて、ピントリングと絞りリングのローレットが同じような大きさのブロックのゴムを巻いたものになっています。ただ、FT1000等のレンズは従来通り金属製のヘリコイドリングの55mmレンズでしたが、こちらはプラスチックのリングが用いられていて、どうも高級感に欠けます。しかし、大変小ぶりで軽いので、MF-1とのマッチングは良く、解像力も悪くありません。
 ファインダーはシンプルそのもので、FT IIと同じパターンのものです。つまり、中央部がマイクロプリズムで、その周辺がわずかに素通しになっていて、その外側に円形のマット面があって、それ以外はマット面と同じように見えるフレネル面になっています。

Petri MF-1 later.model
 

 ファインダーの左下に丸い定点と露出計の針が見えるのもFT系と同じですが、露出計のスイッチはFT系とは異なり、巻き上げた状態だけでは露出計には通電しません。巻き上げた上で絞り込みボタンを押し込むことで、初めて露出計が稼動します。もしそのまま撮らなくても、絞込みボタンを解除すればスイッチは切れるので、電池の消耗はありません。ただし、絞込みボタンは押した状態でひねると、押込まれたままになります。この点は、FT系のM42マウントのモデルもボタン式ですが、ここで絞り込まれたままにはできないので、わずかながらですが向上しています。
 MF-1のその他の特徴は、ホットシューがオリンパスOM-1のようにワンタッチで取り外しができることです。しかも、外したところがそのままコード用のシンクロ接点として使えるので、他にボディ側に接点を設ける必要がなく、スマートな設計であると言えましょう。
 巻き上げレバーも背面に埋め込まれていますが、意外とこれは使い勝手が悪くないです。ただ、あまり厚い指掛けのプラスチックを用いると、背面に大きな突起になるために、薄いものを使わざるを得ないので、ここが破損してしまう可能性が高いです。
 時代はコンパクトな一眼レフを求めていたものの、ペトリは正直言って作戦を誤ったと言わざるを得ません。当時求められていたのはTTL開放測光は当然のこととして、できればAEを組み込み、さらには自動巻上げ機構も追加できるコンパクトなカメラでしたから、同じような大きさのペンタックスMEが売れても、ペトリMF-1がいくら安くてもなかなか売れなかったのも当然と言えば当然です。結果的に、ペトリは77年の終わり頃に2度目の不渡りを出して倒産してしまいました。このMF-1が(株)ペトリカメラでの最後のカメラになりました。

 

PROMATIC COMPACT-R

PROMATIC
COMPACT-R

 MF-1も海外向けにいくつかのブランドで発売されました。画像はヨーロッパ向けに写真機材を販売していたPROMATIC銘柄のモデルで、ここからはFT II系のM42モデルのPromatic SFL/1.7と言うカメラを既に販売していて、このCompact-Rと併売していました。
 レンズも化粧リングだけ変更され、そこには「PROMATIC」の名がプリントされていますが、外観も中身もPetri名の50mm F1.7と異なるところはありません。
 ホットシューの背面のプレートはそれぞれの銘柄のマークが入ったプレートが貼り付けられますが、これにはプレートがなく、平面的に処理されていました。ボディの仕様はMF-1後期型と全く変わりありません。
 フィルム室の印字は「76」で、77年6月生産のようです。

 

HANIMEX CR1000

 ハニメックスはオーストラリアを拠点に、ニュージーランドやはイギリスで写真機材を販売する商社で、色々な銘柄の日本製カメラにHANIMEX名を付けて販売していました。トプコンにもREスーパーやRE2、UNIにHANIMEX TOPCONとプリズムカバー部に掘られたモデルがありますし、コニカFTAにも同様のモデルがありました。70年代後期からのコシナに代表されるOEMで積極的に売り込んだメーカーのモデルが多くなると、本来の銘柄を出さずにHANIMEX単独での名前で発売するようになりました。このCR1000もその流れの一つで、ペトリの名は一切消してあります。しかし、MF-1の特異なフォルムで、すぐにバレてしまいますね。
 標準レンズはC.C Autoと同じ50mm F1.7ですが、ハニメックス独自の緑の字と線が入ったものになります。
 これの他に「SR2000」と言うモデルがありますが、名前以外CR1000と全く変わりありません。ちなみにハニメックスもホットシューには名板が入っていません。

Hanimex CR1000

 

Carena Micro RSD

carena micro RSD

 リヒテンシュタインの写真機材商社であるカレナ向けにもMF-1のOEMモデルを生産していました。丁度同じ頃にFT1000のボディを使ったSRH1001と言うモデルをカレナに卸していましたが、大柄な本格的モデルと、このMicro RSDのコンパクトなモデルの2本立てになりました。両方ともM42マウントで、カレナからはペトリ製以外にも色々なところにレンズを発注していたため、どこ製のものか判然としないものがたくさんあります。画像のcarenar 55mm F2.8は、本来ならSRH760用の廉価版のレンズで、このMicro RSDには50mm F1.7か45mm F2.8が付けられていたのが普通でした。この55mm F2.8は、ペトリ名でもレビュー名でも作られましたが、どうやらペトリがコシナに発注していたもののようです。実際、絞りリング以外ほとんど同じコシナ名のものが存在しますが、日東光学製のものもあるそうです。
 このMicro RSDも他のモデルと全く同じ仕様ですが、ホットシューの背面にはネームプレートが入っています。フィルム室印字は「S79」です。

 

 カレナの取扱説明書には、面白いことに異なったデザインのものがプリントされていました。多分、SRH1001と似せたデザインで統一したかったのでしょうが、他の銘柄のものと同一の方が当然生産は楽なので、このデザインのものは試作だけで終わったものと思われます。実際、この頃のペトリはもう倒産寸前でしたから、あまり色々なことをやっている余裕はなかったものと思われます。
 このカメラで注目したいのは、セルフタイマーレバーのデザインです。妙に指掛けの部分が短く感じますが、実はこれはしばらく後になって出た、下記のMF-10に付けられたものと同じデザインで、既に77年にはこちらのパーツの型が作られていた証拠になります。会社がそのまま存続していたら、MF-1は全てこのデザインになっていたかも知れませんね。

Carena RSD説明書

 

Petri MF-10
 

PETRI MF-10

  (株)ペトリカメラは77年10月に倒産してしまいましたが、労働組合が会社を維持し、(株)ペトリ工業としてカメラの生産を再開し、80年に発売したのがこのMF-10でした。実はペトリが倒産した後に、代金の回収ができなくなったコシナがペトリの商標を使い、自社の一眼レフをペトリ名で色々発売していました。MF-2やMF-3、MF-102等のコンパクト路線に、TTL-2のようなHi-Liteのボディ系列の大柄なものも合わせて作っていました。
 これに対し、ペトリ工業は商標を取り戻すために費やした時間が3年間のブランクになりましたが、カメラ自体はMF-1から別段何も変わり映えしないものしか作れませんでした。一応、標準レンズに当時流行りだった標準ズームを組み込んで売ったのが目新しいところですが、他社の製品に対して競争力はほぼ皆無と言っても良い状態でした。実際、自分が高校生の頃、このカメラをカメラ店で見かけた記憶はなく、確かカメラマン誌か何かで、他のレンズとセット販売されていた広告を見た程度でした。

 機構的にはMF-1そのものでしたが、デザインでは何とか新製品のように見せたかったのか、色々と細かいところを変更しています。まずはボディの貼り革が普通のシボ革からゴムローレットのようなものになったことが目立ちます。それにプリズムカバーに「M」のゴシック体の文字が掘り込まれています。これはV6でも使われたパターンですが、雰囲気は悪くありません。そして、上の段で述べましたが、セルフタイマーレバーのデザインが変更されていまして、シャッターダイアルの型も変更されました。シャッターボタンの指受け皿はFTEやFA-1を思わせますが、形状は若干異なり、幾分薄く仕上がっています。これを外せばMF-1と同じシャッターボタンが現われます。
 他にはカレナのエンブレムのような形のプレートをMF-1の機種名のプレートが貼ってあった側に付けて、形式名は一般のカメラと同じように軍艦部向かって左前にプリントされるようになりました。プリズムカバーにはめ込まれた銘板は、輸出用のみだったMF-1のシルバーボディと同じようなものが使われていて、文字の中間より下半分が細かい網の目状の模様が入っています。
 フィルム室印字は「14」ですので、おそらく81年4月に生産された固体でしょうが、このカメラは80-200mmズームレンズやストロボとセットに販売されたもので、保証書にはそれぞれの製造番号が書かれたカードが入っていました。面白いことに望遠ズームの方はMAREXAR名で、発注先の地野光学のブランドのままペトリ工業から発売されていました。つまり、発注先で化粧リングが間に合わないまま販売されていたようで、同じレンズのマイナーチェンジバージョンには「PETRI」名の化粧リングが入っていました。その点からして、この個体は比較的早くに販売されていたことが予想されます。
 それはともかく、倒産後に何とか労組が主体になってメーカーを再建させたものの、最早新製品を設計して一から作り直す余力はなく、結局はこのモデルをもって1907年から延々と続いた栗林-ペトリのカメラの命脈は尽きてしまいました。必要にして充分な性能を有していながら、高級ブランドのモデルの半額近い値段で手に入ることが売りだったペトリは、安さがかえってペトリのブランドイメージをB級品的なものに定着させてしまいましたが、優秀な設計士による独創的なシステムを持った先進的なメーカーだったことは間違いないです。正直言いますと、高級カメラとは無縁で、オリンパス・ペンEEしかなかった家庭に育った自分は、中学生の頃に初めて買ってもらった一眼レフカメラが質流れ品のペトリV6IIで、学校の友達がオリンパスOM-1やキヤノンEF等を修学旅行に持ってくるのを見て、自分のカメラがダサくて仕方なく感じたものです。しばらくしてアルバイトをして小遣いをためて、ペトリV6を売ってペンタックスMEに買い替えたものです。しかし、カメラのことをたっぷりと知った今、ペトリのカメラが大変味わい深い良さを持っていることに気付き、これらを使って楽しんでいる自分を省みて、何か不思議な気分になりますね。

 

MF10-38-80mm.jpg

作例「三浦アルプスのタイワンリス」

PETRI MF-10 PETRI AUTO ZOOM MC 38-70mm F3.5
シャッタースピード〜1/60秒 絞り〜f4.5

 使用フィルムはフジカラー記録用100(G100と同じもの)で、ナニワカラーキットで現像後、EPSON GT-X980(フラットベッドスキャナー)で3600dpiで取り込んだものをPhotoshopで縮小し、アンシャープマスクを掛けていますが、色やその他の補正は一切掛けていません。

 三浦アルプスは葉山町から横須賀市にかけて三浦半島の首の部分を横断するように延びた山塊で、160m前後の低山ながら無数のピークが連なり、80年代までは長らく手付かずの地域だったこともあって、思いの他に深山気分を味わえます。横浜横須賀道路が計画されたのも、ここが手付かずの山だったことで、住宅地を回避できるメリットがあったからでしょうが、今では歩き応えのある本格的なハイキングコースとして、さまざまなルートを抜けることができるようになりました。とにかく自然が一杯なのですが、ここには熊はもちろん、鹿や猪、猿等の動物がほとんどいないため、小型の動物が大手を振って動き回っています。中でもリスが大変多いのですが、日本固有の種ではなくてタイワンリスだそうです。画像は冬の曇り空の山道で撮ったもので、色合いが鮮やかではないですが、ズームレンズの割りに変な像の崩れは見られません。ピントを合わせた周辺はしっかり解像していて、ボケ方も不自然ではなく、充分日常の撮影に使えるスペックのレンズだと思います。
 

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