PETRI Penta, Penta V, Flex V3, V6, V6 II

Petri PENTA
 

Petri PENTA

 ペトリの歴史は1907年に始まります。これは日本のカメラ業界としては屈指の老舗と言うべきメーカーでした。元々栗林一族が興して、戦前・戦後にかけて皆川商会から「ファースト」名で色々な蛇腹カメラやスプリングカメラを作っていました。
 PETRI名のカメラが初めて登場したのは、48年に発売された距離計付きのスプリングカメラ、「ペトリー」からになります。同時に「カロロン」も併売されましたが、52年のペトリRFから以降は皆ペトリブランドを用いるようになりました。販売も皆川商会ではなく、自社(栗林写真工業)で行なわれていました。
 50年代は主に35mmレンズシャッターカメラに注力し、様々な中級カメラを販売した後、いよいよ1959年10月に最初の35mmフォーカルプレーン式一眼レフカメラ、「ペトリ・ペンタ」を完成させました。これは、ペンタプリズムを搭載したモデルとしては早い時期のものになります。

 ここで、当時の日本製プリズム搭載の一眼レフカメラの情況を見てみましょう。最初に登場したのが55年のミランダTで、ミランダはこの後、矢継ぎ早にA/B/C/Sとマイナーチェンジを繰り返していました。35mm一眼レフのパイオニアだった旭光学は、ペンタプリズムを搭載したモデルに関してはミランダに遅れること2年、57年5月にようやくアサヒ・ペンタックスを発売しました。そしてこれに自動絞り化を施すべく、K/S/S2と発展していました。3番手は東京光学で、57年12月に自動プリセット絞り(半自動絞り)のトプコンRを発売していました。58年には7月にミノルタがSR-2を出して参入し、59年5月にはキヤノンフレックスRが、同年6月にはニコンFが登場しました。このような中での35mm一眼レフ市場に参入したペトリは、当初から他社の大変高価な価格設定に比べて安価な路線での戦略を採り、既に自動絞りはどのメーカーも達成していた中、ペトリ・ペンタは手動プリセット絞りでしたが、そこそこ売れたようです。この後に、コニカFやヤシカ・ペンタマチック、マミヤ・プリズマットNP等が発売され、以降日本の一眼レフが世界を席巻することになりました。
 こうして比較的早期に登場したペトリ・ペンタですが、シャッターダイアルはまだ一軸二段の回転式で、丁度59年頃に各メーカーとも一軸不回転式シャッターダイアルや完全自動絞りを投入していた頃だけに、スペック的には当初から寂しいものがありました。マウントは旭光学と同じくPマウントを採用して、レンズ名は「オリコール」でしたが、すぐに後述のモデルから独自のスピゴットマウントに変更して自動絞り化を果たしつつ、レンズ名も変更されました。その頃になってマウントをM42に戻しただけのPetri PENTA Jrが輸出向けに作られましたが、ネームプレートに「Jr」の文字はありませんでした。
 ペトリ・ペンタは当初からシャッタースピードがB, 1/2〜1/500秒に設定されていて、これはこの系列のボディを用いる最後のモデルになるFTEまで変わることはありませんでした。ファインダーは全面マット式で、交換レンズは35mm・105mm・135mm・200mmが用意されていました。35mmと135mmは明るさの異なる2種が発売されていたようです。
 ペトリ・ペンタは当初一般的なクイックリタンミラーのフォーカルプレーン式一眼レフと同じように、巻き上げ/チャージの回転軸から、カムを使って平板のレバーに伝達してミラーを駆動させる仕組みを採用したものの、すぐに後のペトリの各モデルで採用された一軸カムシャフト方式が創り出されます。これは巻き上げレバーのシャフトの最下部のギアが、フェースギアで90度に曲げられて一軸カムシャフトに動力伝達され、コイルスプリングが絞られて一旦その力がチャージされます。シャッターボタンを押してストッパーを解除すると、軸が一気に回転し、その先に配された複数のカムが回転することで、シャッター幕の制御とクイックリターンミラー、シンクロタイミングを連動させていました。車のエンジンのOHVのような働きをする訳です。この独創的なシステムはFT IIの後期に平板のカム/レバー方式に戻るまで、長らく使われることになりました。

 

Petri Penta V

 ペトリ・ペンタはPマウントを採用していましたが、完全自走絞り化にあたりマウントも一新して専用のスピゴットマウントになりました。シャッターダイアルも一軸不回転式に変更され、セルフタイマーも追加されましたが、基本的な機構はそのままペトリ・ペンタを引き継いでいます。
 このモデルからセルフタイマーを外してPマウントに戻した廉価版が「ペンタ・ジュニア」として販売されました。
 ネームは「ペンタV」として1961年に国内外で発売されましたが、本来V型は1/1000秒を追加したモデルとされ、これは残念ながら未確認のままらしく、どうも1/1000秒のスリットが安定していなかったために、市販モデルではこれを見送ったようです。その名残りで、シャッターダイアルには「500」までしか数字が刻まれていないですが、Bとの間が広くなっていて、ここに「1000」に割り当てるクリックがあります。ただ、そこに合わせても1/500秒とそう変わらない感じです。

Petri PENTA V2
 

 実は500とBの間にはもう一段クリックがあって、これはどうもX接点用に割り当てられたもののようですが、実際は30と60の間に「―X」となっていて、そこに合わせるようになっています。幕速はここから分かるように、布幕横走りシャッターとしては遅い部類になりますが、トプコンRやミランダD等も同様でしたから、初期のフォーカルプレーンシャッターの平均的な幕速なのでしょう。
 シャッターボタンはペトリ・ペンタと同じく、プラクチカに倣ってボディ全面に斜めに設けられています。これは押しやすくするために採ったものと思いましたら、昔のカメラ雑誌の記事で、開発者の柳沢氏の言葉ではっきり機構上の問題から軍艦部上に設けることができなかったことが書かれていました。意外な事実でしたが、かえってこれがペトリらしさにつながって、ユーザーに好まれたポイントになったものと思われます。ちなみに、縦位置でも全く違和感なく使えます。
 ファインダーも進化していて、それまでの前面マットを改めて、中央に丸枠があって、その中に横方向に2段分かれた線があり、スプリットイメージになっています。つまり、一般のスプリットイメージと違って、ピント合わせ用の切れ目が2つある訳です。ただ、一般のスプリットとは異なっていて、中央部こそ素通しですが、上下のピント合わせで像が左右に移動する部分は普通の素通しのプリズムではなくて、良く見ると細かい網状になっています。結構ピント合わせは楽になりましたが、F4より暗いレンズですと上下のスプリットイメージのプリズムに陰りがはっきり出てきてしまいますので、これを嫌ってすぐにスクリーンが変更されました。
 標準レンズはC.C Petri 55mm F2が新たに装備されました。4群6枚構成で、基本構造はペンタ用オリコールと同じガウス型ですが、50mmから55mmに変更されています。絞りも完全自動化にともない、10枚絞羽根から6枚羽根に減らされました。同時にAutoとManualの切り替えリングが追加され、普通絞りで使えるようになっています。
 プリズムカバーのデザインはペトリ・ペンタのシンプルなデザインのものと異なり、少しふくらみを持たせて、後ろの方にシボ革を貼ってアクセントにしています。アクセサリーシューはここにはありませんが、外付けのアダプターを巻き戻しクランクの側の軍艦部側面にネジ留めして取り付けます。巻き戻しクランクの横の突起はアクセサリーシューの位置固定用のもので、内側にある窓は自動リセット式のフィルムカウンター、その前のレバーがXとFPのシンクロ切り替えノブです。
 以上がペトリ・ペンタVのスペックですが、前述の通りペンタVは1/1000秒を備えたモデルを想定していて、この市販モデルは「ペンタV2」と言う通称が用いられています。

 

Petri Flex V
 

Petri Flex V

 こちらはペンタV2の輸出向けモデルで「Flex V」ネーム仕様です。この1/500までのモデルは「Penta V2」と同じように「Flex V2」と呼ばれるようになりましたが、ボディのプレートにはやはり「Flex V」としか表記されていません。
 ペンタV2との変更点はプリズムカバーのネームプレートだけですが、こちらは「Petri」の字体が角張っている感じで、「Flex」の文字も下に付かずに横一線に並べられているのが特徴です。しかも、字体がそれぞれ異なるのはペンタV2も同じです。
 巻き上げレバーの軸の皿ネジのデザインが改められ、初期のペンタと同じものが使われています。これはV6前期まで使われましたが、後のモデルでは黒いペイントは施されませんでした。
 軍艦部前面の栗林のマークは既に外された頃のモデルで、これは国内向けペンタV2でも同じです。

 このFlex Vのスクリーンには中央に四角い枠があり、その内側がマイクロプリズムが配されていますが、これは良く見られるピラミッド型の細かい突起を設けたのではなく、角の丸い集光レンズのような形の突起をたくさん並べています。この独特のマイクロプリズムはなかなかピントの山をつかみやすく、角の立ったものと違って暗いレンズでもそれなりにピント合わせができる点で結構使い勝手の良いものでした。そのプリズムの外側は円形でマット面が続き、さらにその外側にはフレネル部になります。ここは筋がはっきり見えるので、時として煩雑に思えるかも知れませんが、慣れれば気にならないレベルです。また、ファインダーを覗くと左下にうっすらとペトリのマークが見えますが、このマークも生産されたロットでいくつかのパターンがあるようです。

 

Petri PENTA V
Black finished

 ペトリの初期モデルにもブラックボディは少ないながらも生産されていました。当時はまだ警察向けとかプロカメラマン向けとか、特殊用途に用いられるのが普通で、後のモデルのようにカタログにブラックボディがいくらか高値で併記されてはいませんでした。この個体もそうしたいきさつで受注生産されたものと思われますが、機能的には何らシルバーボディのものと変わりありません。
 この個体は上記のモデルよりもしばらく後に生産されたもので、ペンタV2としては遅い方のものになります。黒仕上げになった以外では、セルフタイマーレバーの形が変更された点と、巻き上げレバーの軸の皿ネジの形状がシンプルなものになったことと、ファインダースクリーンのフレネル部の溝が目立たなくなった程度の違いです。レンズも絞りリングと先端の筒が黒くなっていること以外、変更点はありませんが、黒仕上げのVシリーズは精悍に見えますね。

Petri PENTA V2 Black finished

 

Petri V3 FLEX

Petri Flex V3

 64年になって、ペンタV2はPetri V3 Flex」の名板をはめ込んだモデルにマイナーチェンジされました。向かってボディ左前面のネームプレートからはモデル名は消えました。アクセサリーシューは当初V2と同じくサイドに取り付けるものでしたが、この個体ではファインダーアイピースにはめ込むタイプになりました。プリズム側が「Petri Flex」、ボディ側が「Petri Flex V3」となったものもあります。
 V2との大きな変更点は、シャッターボタン側の軍艦部前面に二つの突起が出ていて、シャッターダイアルにも一箇所出っ張りが設けられ、外付けの露出計が用意されました。シャッターダイアルの突起を露出計側のダイアルの溝に差し込むことで、シャッターだけに連動するようになりました。それ以外ではV2と変更点はありませんが、標準レンズがC.C Autoの55mm F1.8になりました。フィルム室印字は「1」ですが、これは年度ではないでしょう。

 

PETRI V VI 前期型

 V3発売した翌65年、それまでのペンタから始まるデザインを一新し、プリズムカバーを軍艦部と一体化して、エプロン部もシンプルな形状にして繋ぎをすっきりさせたモデルが登場します。これがV VIで、ややこしいですがVがアルファベット、VIがローマ数字になり、背面に貼られたプレートにこれが記されています。それでもやはり混乱しますから、一般には「V6」と算用数字に変えて標記される場合が多いです。
 このモデルにはおそらくPetriの一眼レフカメラとしては初めて海外ブランド向けのOEMモデルが作られました。それはドイツの写真機材総合商社のREVUE向けのもので、その名も「REVUE V6」と言うものでした。これには軍艦部前面向かって右側に「V6」の文字が刻まれていました。
 このモデルにも色々バージョン違いがありますが、最後の頃にはプリズムカバーの文字が白抜きではなくなってV6IIのものと同じようになったバージョンもありました。

PETRI V6
 

 V3との違いは、外観以外にはほとんどありません。あえて言うならX/FP切り替えノブが消え、シンクロ接点の位置が軍艦部前面からシボ革の貼られた下部に移動したことくらいです(V6IIからまた軍艦部に戻ります)。しかし、巻き上げスプールは柳沢式と呼ばれるスリットが複数刻まれたものが採用され、スプロケットの形状も変更されています。見た目のモダン化が主な目的となるマイナーチェンジでしょうが、販売価格がV3の27800円から23500円に値下げされ、さらに低価格路線で売り込む狙いがあったものと思われます。65年の時点では、例えばニコンFのアイレベルでF2付きが59000円、トプコンREスーパーのF1.8付きで54000円でしたから、高級モデルの半額以下の設定でした。このカメラと67年のFTでは写真家の秋山庄太郎を広告で採用し、「この性能でこの価格、まいった」と言う具合にそのコストパフォーマンスの高さをアピールしていました。当時のサラリーマンの平均月収が10万円に満たない時代に、ニコンやトプコン等の当時の最高級機を購入するのは難しく、ペンタックスやミノルタの3万円台のものでもなかなか購入するのは大変だった頃です。それらよりもさらに1万円も安いのですから、今の感覚で言うとフルサイズのデジタル一眼ではなくて、ミラーレス機を購入する感覚でしょうか。とにかく、圧倒的に安い価格設定から、機構的な魅力には乏しいながらも、結構な台数が売れたモデルでした。

 

PETRI V6 later model

PETRI V VI 後期型

 68年になるとV6系のボディを使ったTTL-EE機のFT EEが発売され、それに合わせる形でV6も細かいパーツが変更されました。具体的には巻き上げレバー周辺のデザインが変更され、レンズの鏡胴デザインが白から黒へ変更されたくらいでした。しかし、V6はV6IIが70年にデビューしてもまだ並行して販売されていて、その頃にはFT EEもプリズムカバーの「PETRI」ロゴもそれまでの白抜き字体から、一般的な太字の黒文字に変更されました。もちろん後から出たV6IIもその字体を用いましたが、まだ売られていたV6もこのロゴに変更されていました。画像の通り、V6IIとの差異はホットシューの有無だけです。なお、このカメラのフィルム室印字は「12」で、71年2月生産の個体になります。

 

PETRI V6
Black finished

 V6のブラックボディは廉価版のモデルながらしっかり作られていました。価格は+1000円の設定でしたが、格安なシルバーボディに比べて圧倒的に少なく、今では結構な中古価格で取引されています。画像のものは中期の中抜きロゴの頃のボディですが、当然後期のものにもあるでしょう。ただし、初期のシボ革がピラミッド形状のデザインになった頃のモデルや、前期の白鏡胴のレンズが付いたモデルには黒ボディが用意されていたかははっきり分かりません。ちなみに、直前のV3 FLEXには今のところ黒ボディのモデルを確認したことがありませんので、V2以降、このV6中期まで用意されていなかったかも知れません。

PETRI V6 black finished

 

PETRI V6II early model

PETRI V6 II 前期型

 70年になると他社のカメラでフルマニュアル機はあまり見られなくなっていましたが、TTL機から露出計を外したモデルを廉価版として併売するメーカーもありました。ペトリの場合はフルマニュアル機が本流で、69年からこのボディに露出計とEE機構を組み込んだFT EEが販売されて、それに伴いV6も小変更してV6IIとしてリニューアルされました。
 V6との大きな違いはホットシューがプリズムカバーに固定されたことで、それとともに、新たなPetri C.C Auto 55mm F1.8にGN(ガイドナンバー)リングが新設され、ストロボ撮影を容易なものにしていました。ニッコールやトプコールにあったGNレンズのように、ヘリコイドと絞りリングが連動するのではなく、手動でGN値を距離に合わせて、そこで指示される絞り値読み取ってセットする仕組みでした。
 価格はF1.8レンズになったために27200円に上がりましたが、V3の価格に戻っただけなのに機能はアップしているから格安でした。

 

PETRI V6 II 後期型

 個人的な話で恐縮ですが、自分がカメラに目覚めたのは中学時代で、まるっきりカメラには縁のない家庭だったものの、級友の持ってくる一眼レフが羨ましくて仕方なく、何とかねだってやっと買ってもらったのが質流れ品のこのペトリV6IIでした。なぜこれにしたかと言うと、理由は簡単で、一番安かったからです。鮮明に覚えていますが、一眼レフカメラでこれだけが1万円を切っていて、9000円の値付けでした。しかし、露出のことなど全く知らないド素人には、フルマニュアル機は何がなんだか分かりませんで、レンズのマウント部に近いところにある「Auto」「Manual」の切り替えスイッチが、“自動絞り”ではなく“自動露出”と勝手に思い込んで、いつも真っ黒けっけな写真を撮っていたものです(笑)。そのうち、すぐに何かペトリが大変ダサいカメラに思えて、雑誌を見て当時の最新のコンパクトな一眼レフの記事を目を皿にして読んでいたものです。
PETRI V6II later model
 

 その中学生時代、学校からの帰り道に小さな町のカメラ屋さんがあって、そこのショーウィンドーの一番上には、何かゴツくて立派な10万円以上する高価なカメラが飾ってあり、「スゴイなー」と毎日見ながら帰宅していました。それがトプコン・スーパーDMで、のちに自分がクラシックカメラにはまり込むきっかけになったカメラでした。長らくトプコンとイタリアンカメラをそれなりに研究し尽くして、いよいよフィルムカメラが下火になったここ数年、かつての名機がオークションでまるでカス値で入手できるようになりました。レンズはまだ多少は値が張る場合もありますが、ボディはかつて10万円コースだったニコンF2フォトミックSBやキヤノン旧F-1等が、1万円以下で買えますし、ペンタックスMシリーズなどは軒並み1000円2000円のレベルです。そんな状況下で、ふと自分がカメラの道に入ったペトリV6IIが懐かしくなり、これも嘘みたいに安い値段で3台買いましたが、どれも皆まともに動かないのも何かペトリらしいと思いました。しかし、多少なら自分で修理できるので、重症でなければまず問題なく可動状態にできます。そして、改めて中玉まできれいに洗浄したPetri C.C Auto 55mm F1.8を付けてV6IIで撮影すると、これが目から鱗が落ちると言うのでしょうか、昔抱いていたペトリのイメージとは全く異なり、良く写ること。それが面白くなって、V6以降のペトリにまず興味を持って色々と購入して使っているうち、ペトリの得も言われぬ魅力にすっかりはまってしまい、現在では趣味のハイキングに持って行くフィルムカメラでは、トプコンと並んでペトリの稼働率が高くなっています。
 
 前置きが長くなりましたが、V6IIは77年に不渡りを出すまでずっと発売されており、その期間でわずかにマイナーチェンジされた個体が見られます。マイナーチェンジと言っても細かい内部パーツはともかく、外から見て分かるのはセルフタイマーレバーのノブにプラスチックカバーが付けられ、当時のFT IIやFTE、FA-1や海外向けM42モデルと共通化が図られました。おおよそ73年頃に後期型になりましたが、結局のところ変更点はこれだけでした。
 それにしても、ペトリはMF-1を76年に発売するまで、このフルマニュアル機のV6IIを主力機種の一つに据えていたのですから、考えて見るとある意味凄い話です。市場の流れは全く気にしない体質だったのか、はたまた気にしたくても何もできなかったのか分かりませんが、最新のTTL-AE機がワインダーや標準ズーム付きで店頭に並ぶ中、あえてフルマニュアル機が横に並んでいた訳ですから、購買者には価格以外訴えるものはなかったでしょう。しかも、既に低価格低機能路線には市場が振り向いてくれませんでしたから、苦しい戦いを強いられたことは間違いないです。柳沢氏と言う優秀な設計士がいた中で、もっと資金的に豊かで、なおかつ戦略を間違えなければ、ペトリはもっともっと良いカメラを作っていた可能性もあり、それを思うと何か残念で仕方ない気分になってきます。しかし、自分も年を重ねた今、ペトリの持つ独特の操作感やレンズ描写を楽しむのは、やっとペトリの魅力を素直に受け入れることができるようになったと言えるのでしょう。

 

Petri V6II shaft drive

 FT IIが途中から一軸カムシャフト方式から平凡な板状のレバーやカムの組み合わせによるシャッター、ミラー、絞りの連動方式に変更しましたが、V6IIは最後まで一軸カムシャフト方式のまま生産され続けました。ペンタVシリーズのコンパクトボディでは、ここから大幅に手を入れて変更するのは難しかったのでしょうが、もしやっていたとしても、労多くして益少なしとなるのは必定でしょう。ただ、FT系のようにM42マウントに改装して売り出すのは容易だったはずですが、考えてみるとFTEのようなAE機はあってもTTL絞込み測光機はこちらのボディでは作らなかったので、作り直すのも大変だったのかも知れませんね。

 

PETRI V6II
Black finished

 V6IIにもブラックボディが作られ、+2000円で選択できるようになっていました。しかし、元々可能な限り機構をシンプルにして値段を抑えることで市場に存在感を放っていたペトリの場合、それを求めるユーザーも価格の安さが狙いであり、当然のことながらわざわざ値段が高くなるブラックボディを選択した人は少なかったようで、現在中古市場にはほとんど姿を見せません。
 画像のモデルは前期型ですが、ペンタV2のブラックモデルの場合と異なり、レンズまで黒仕上げにはされていません。GNスケールは組み込まれているの点もクロームボディのものと変わりません。ただし、ボディ側パーツはセルフタイマーや巻き戻しクランク、巻き上げレバー、シャッターボタン台座等、様々なパーツが黒く仕上げられていて、このカメラのデザインには大変似合っているように思えます。

PETRI V6II black finished

 

Revue V6

Revue V6

 V6が発売された頃はまだ海外向けのOEM一眼レフモデルは見られませんでしたが、70年頃から作られるようになりました。その先駆けがこのレビューV6です。ペトリのOEM機はどんな銘柄が出てくるか分からないので、ひょっとするとV6以前にもあったのかも知れませんが、少なくとも今のところこのモデルが最初のOEMモデルとして認識されています。
 スペックは従来のV6と全く変わりません。フィルム室の印字は「07」ですから、70年7月生産のボディですので、V6後期型の頃合になります。レンズも化粧リングに刻まれた名前が「REVUE C.C Auto」となった以外は何ら変わりありません。
 「V6」の文字が軍艦部前面に刻まれているのは見た目に良いですね。

V3-V6II
exposure meter

 V3 FLEXから始まる専用外付け式CdS露出計。シャッタースピードダイアルにのみ連動します。取り付けは軍艦部前面シャッターボタン側の2つの丸い突起に引っ掛ける方式。レビュー向けのものは全面の丸いロゴが消えて、上面のネームも「Revue」に変更されています。

Petri V3-V6II & Revue V6 exporsure meter

Petri FlexV Petri C.C 55mm F2 photo

作例「横浜市中区」

Petri Flex V
C.C Petri 55mm F2
シャッタースピード〜1/125秒 絞り〜f4

 使用フィルムはフジカラー記録用100(G100と同じもの)で、ナニワカラーキットで現像後、EPSON GT-X980(フラットベッドスキャナー)で3600dpiで取り込んだものをPhotoshopで縮小し、アンシャープマスクを掛けていますが、色やその他の補正は一切掛けていません。

 都会のイメージがある横浜市の中心部でも、ちょっと外れるとこのような廃屋がちょくちょく見られるところがあります。後ろにマンションが建っていますが、新しいものと朽ちたものがアンバランスに並ぶ光景が多々あります。
 ペトリの初期のレンズですが、カリッとしたエッジの効いた描写になります。ただ、色乗りは後のレンズもそうですが、そう良い訳ではなくて、曇り空であったこともあってか、くすんだ感じの色合いになりました。また、上部はフレアーの影響も出ているようで、かすかに霞んでいるように見えますが、フィルター未装着でこれくらい写ってくれれば可としましょう。
 ピントを合わせたのは中央の窓の枠ですが、下側の雑草や路面が甘くなっています。手前のロープや杭がもっとボケても良いはずが、かえって鮮明になって見えますので、何かレンズのコーティングが部分的に痛んでいるのかと思いきや、このレンズはきれいな状態でして、原因は良く分かりません。ちなみに、同じ日に撮影した他の写真では、こうした傾向は見られませんでした。まぁ、こんなことも古レンズの癖と言うことで、「味わい」と捉えておくことにしましょう。
 

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