TOPCON CLUB (トプコンクラブ

TOPCON Focal Plane Shutter SLR 1 - TOPCON R series

 

TOPCON R.jpg

トプコン R
TOPCON R

 1957年12月に発表された、ミランダT・アサヒペンタックスAPに次ぐ日本で3番目のペンタプリズム付きフォーカルプレーン式一眼レフカメラ。標準レンズはオートトプコール5.8cm F1.8で、自動プリセット絞り(半自動絞り)を持つ。これは、絞りを開放にするレバーを一旦押し下げて絞り込む力をチャージし、シャッターボタンと連結する絞り込みボタンを押すことで、一瞬のうちに所定のところまで絞り込まれる仕組みである。
 また、レンズ自体の性能も非常に優れ、『アサヒカメラ』の「ニューフェース診断室」のテスト方法が変更されるまで、最も良いテスト結果を残している。当時の東京光学が長い年月をかけて研究してきた一眼レフカメラであっただけに、その力の入れようも推して知るべしである。
 アメリカ向けにはBeseler TOPCON Bと名を変えて販売されたが、ヨーロッパ向けには一部で"TOPCOR R"と刻印されたものもある。

Topcon R

Topcon R
 2段目の写真でもお分かり頂けるであろうが、マウントはご存知の通り、当時世界中に広く流通していたエキザクタマウントである。しかし、シャッターボタンの位置がエキザクタと異なって向かって左側になっているので、プリセットアームが張り出したタイプのレンズの場合、トプコン用・エキザクタ用の両者で付け換えても、互いにその役目を果たさなくなってしまう。
 トプコンでは標準の58mmの他に35mmと100mmのオートトプコールがこの形式のオートプリセットレンズであった。この半自動絞りの欠点は、シャッターを切った際に絞り込まれたままになってしまう点で、絞りを開けているのならともかく、絞り込んでいる場合は、せっかくクイックリターンミラーになったのに、まるでブラックアウトしたように暗くなってしまう。これを嫌ったアメリ側からの要請で、ボタンを押し込むにつれて絞り込まれ、離すにつれて開放になる、オートキノンタイプのレンズも59年に作られた。
 ボディのデザインは西ドイツのヴィルジン社製のエディクサレフレックスに範をとったと考えられ、その形は良く似ており、特にミラーボックスからペンタプリズムにかけてのデザインにその面影がある。プリズムの着脱はプラクチナ型の、後ろにスライドさせるタイプが用いられているが、スクリーンは交換できない。ただし、日本製のカメラで初めてファインダースクリーンにスプリットイメージが採用されたことは意外に知られていない。
 このカメラはペンタプリズム交換式のシステムカメラであったが、かなり大柄でもあり(155x100x95)、上記『アサヒカメラ』のテストレポート記事では「軍用カメラ」と評されたのは有名な話である。しかし、この言葉の裏側にはただ大きいだけでなく、とても堅牢でしっかりした作りであるという意味も含まれており、実際、当時のカメラで大半の固体が何の不都合もなく作動するものはこのトプコンRだけではあるまいか。
This camera was the 3rd focal plain shutter single lens reflex camera with a pentaprism which ranks next to the Miranda T and the Asahi Pentax AP in Japan. This was put on the market in 1957. The standard lens is Auto Topcor 5.8cmf1.8, and has an automatic (semi automatic - it is expressed that it is automatic) priset diaphragm. The Lens mount is using the same thing as Exakta, but it is not much incompatible, because right and left are reversed.
It is thought that the direction of a body took the example to the EDIXA-FREX made from WIRGIN of West Germany, the form image that is well alike, the design especially applied to a pentaprism from a mirror box.
This is the system camera for which a pentaprism is exchangeable, and is large-patterned body. So this camera having been commented as "the military camera" with the test report of the "Asahi camera".
It is not known unexpectedly that the split image was adopted as the finder screen with the Japanese-made camera for the first time.

TOPCON R Black finished

トプコンR ブラックボディ
TOPCON R Black Finished

 何から何まで真っ黒のトプコンR。生産台数大変少ないが、58年末頃から生産が始まり、国内では主に警視庁などに納入されたらしい。
 このカメラの特徴はとにかく真っ黒なところで、軍艦部や底蓋、プリズムカバーのみならず、巻き上げレバー周辺や巻き戻しクランク全体、裏蓋開閉レバーやペンタプリズム着脱ロックボタンに至るまで、全て黒いパーツが使われている。しかし、その他の点では機械的なところも含め、従来のボディと変更点はない。
 レンズも一般モデルと基本的に同じオートトプコール5.8cm F1.8が付いているが、これもやはり鏡胴の先端まで黒いレンズが装着されている。シャッターボタン(絞り込みオートプリセットボタン)の周辺のカバーは焦点距離別に色分けされていたのがオートトプコールの特徴でもあったのであるが、このカメラの場合ここまでも黒く仕上げている。
レンズのシリアルナンバーは28で始まり、この点は従来のものと変わらない。以前は桁が一つ多くなっていると考えていたが、実はクローム仕上げと何ら変わらずに並行して生産されていたようで、ボディナンバーも15で始まる6桁であるが、この点も黒白とも変わらない。私が以前見たものは、単純に番号が1万台に達して一桁増えただけのものだったようだ。なお、下のRIIやRIIIに黒バージョンがあったかどうかは未確認のため何とも言えないが、あったとしても不思議ではない。
 それにしてもここまで何から何まで真っ黒に仕上げてくれると格好良いものである。市場に現れることはほとんどないので、一体相場がいくら位なのか皆目見当が付かないし、その生産台数も全く闇の中で、それこそ“ブラック”なボディであると言えるだろう。
This camera is the TOPCON R using whole of black parts. Those days, Tokyo Opt Co. had supplied the National Police Agency this camera in Japan. This camera of most was exported. The Auto Topcor 5.8cm lens is also black finished. There will be very few these cameras, and probably only hundreds of sets will be made.

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 トプコンRの断面図。この図では標準レンズの他にレンズフードも装着されている。こうして見ると、カメラが大きい割に意外と無駄なスペースが無いかのようである。とは言え、ボディ側には自動絞りの機構は何も備え付けられておらず、かえってレンズ側に後のものよりもパーツが多く使われている。トプコンRのクイックリターンミラーは旭光学のものとは全く違う独自のもので、50年代前半に実用新案登録されたが、特許としては認められなかった。後にニコンがFを作った際に旭光学から特許の侵害であると抗議があり、両者は裁判で争うことになったが、ニコンはこのトプコンの機構を盾に難を逃れたいきさつが事実として残っている。あまり知られていないが、東京光学は50年代初頭から一眼レフカメラの開発を水面下で行なってきたのである。

 

Automatic Topcon R (RII)

トプコン RII
TOPCON RII

 1960年7月に国内発売されたマイナーチェンジモデル。マイナーチェンジと言っても変更点はとても重要なもので、まず第一に挙げられるのが新たに完全自動絞り機構が組み込まれたことである。よってレンズも一新され、ボディ側に絞込みレバーが加えられることになった。セルフタイマーも装着されている。標準レンズはFオートトプコール5.8cm F1.8で、世界で初めてヘリコイドリングにゴムが巻かれた。なぜそれまでのカメラでは採用されなかったのか不思議である。ちなみにアルコア社製耐食性アルミ合金鏡胴を採り入れたのもトプコンが最も早かった(レオタックス用のトプコールから)。
 ところで、この自動絞りの機構はトプコン独自のもので、他の一部のメーカーもこれを利用している。ペンタプリズムカバーに誇らしげにAutomaticと刻まれているが、実はこのモデルの正式名称は「オートマチックトプコンR」と言う。

Topcon RII later version

 上の写真はRIIの前期モデルで、下の写真は後期モデルである。ほとんど違いは見られないが、後期のものはセルフタイマーレバーの形状がそれまでの曲線的なデザインのものから、指掛かりのよい直線的なデザインのものに変更されている。これはRIIIにも引き継がれて使われていた。
 トプコンRIIの当時の価格は43,000円(ケース2000円別)で、Rが56,000円であったことからすると大幅に値下げされた。かといってコストダウンは認められず、これは単に商品としての競争力を高める目的以外に理由はなさそうである。当時はデフレ不況から、各社のカメラが軒並み値下げされていたため、東京光学としても機構をより充実させたのに値下げしないといけなかったのは厳しい戦略であったものの、そうせざるを得なかった情況であった。
 アメリカ向けにはベセラー・トプコンCとして販売されたが、ヨーロッパ向けはAutomatic TOPCON Rのまま販売された。

The minor change model of 1959 sale. The completeness automatic diaphragm mechanism and the self-timer was also added.
The standard lens is F Auto Topcor 5.8cm f1.8, and rubber was wound around the focusing ring for the first time all over the world. It is wonderful in why it was not adopted with the camera till then. Having taken in aluminum body incidentally also had the earliest TOPCON (from Topcor for Leotax).
By the way, the mechanism of this automatic diaphragm is a patent of TOPCON, and some [other] makers also use this.
This model is called "Automatic TOPCON R". The name of BESELER TOPCON C was made a selling point of in the USA (BESELER TOPCON A point out TOPCON PR, however I unidentified, and B points out TOPCON R).

The upper photograph is the first half model of RII, and a lower photograph is a model in the second half.Although a difference is hardly seen, the thing of the second half is changed into the thing of a linear design with the form of a self-timer lever. As for this, it was used also at the time of RIII.

 

Topcon RIII

トプコン RIII
TOPCON RIII

 1961年9月の秋の新型カメラショーで発表され、10月に発売されたR系最終モデル。58年にズノーが、59年にはニコンFやキャノンフレックスが登場し、トプコンRIIのスペックでは弱い立場に立たされた東京光学が急遽作り上げたマイナーチェンジモデルである。価格は48,000円で、別にケースが2000円、露出計が5,000円に設定されていた。
 このカメラの最大の特徴は、露出計を装着可能にすべく一軸不回転式シャッターダイヤルを備えていることと、シャッターボタンの上には露出計専用のシューが取り付けられていることである。ここに専用露出計を差し込めば、シャッターダイヤルと連動するようになっている。しかし、絞りには連動しない。細かい変更点は巻上げレバーの形状が変更されて指掛け部分が大きくなったこと、カウンターの小径化、軍艦部にフィルム面表示が付いたこと、メッキの質がざらついたものになったこと程度であるが、前面にシューが付いたことによって上から一目見た印象はかなり変わった感がある。

Topcon RIII

 全生産台数はおよそ2000台程度と言われ、63年初めにRSが発売されるまで生産が続いたものの、その割に少ない。これは、やはりR系のボディの大きさや、他のメーカーの後発モデルに比べて目新しさがあまりなかったことにより、さほど流通しなかったためのものと思われる。当時の『写真サロン』誌の新作カメラレポを見ると、「トプコンRができたときほど人気がないのは事実だ。カメラが大きく重いのことが理由なのか。これだけの性能のあるカメラとしては不思議な気がしないでもない。(中略)カメラの堅牢なことは前から定評があるし、レンズの描写も申し分がない。結局は新型への切換えがおくれたことが最大の原因かもしれないが、とにかく使って損のないカメラだし、あきのこないカメラだと思う。」とある。私も全く同じ意見である。
 対米輸出向けは、従来通りベセラーから販売されていたが、ネームは変更されずに"Beseler TOPCON C"のままで、ボディをRIIIにしたものが販売された。
The R system's last model of 1960 sale. NIKON F, CANON FREX and ZUNOW cameras appeared in '59/'58, TOKYO OPTICAL CO. was the position weak in the spec. TOPCON RII is the minor change model completed hurriedly.
The greatest features of this camera are having the 1 axis unrotation formula shutter dial and the exposure meter interlocked with a shutter dial can be attached. A shutter dial will be interlocked with if an exclusive exposure meter is inserted here. However, the diaphragm is not interlocked with.
At a fine point, the film winding lever and the exporsure counter scale was changed. So a looking from the top has the impression which changed considerably.
There are very few these cameras, these will be about 2000 sets. TOPCON RS was put on the market in 62. The model of the R system have been no novelty, compared with other makers. Therefore, probably, this camera hardly sold.

 

Beseler Topcon B

ベセラートプコン B
BESELER TOPCON B

 対米輸出は自社ルートもか細く残っていはいたが、ほとんどがチャールズ・ベセラー商会を通じて行なわれていた。58年からの契約で、最初に"Beseler TOPCON A"としてレンズシャッター機のトプコンPRを販売したが、ボディには"Beseler"の刻印はなく、国内モデルとは化粧箱以外何ら変わらなかった。メインになるフォーカルプレーン機には最初からエプロン部の刻印を変更したものが使われていたが、機構的には従来のモデルと何ら異なるところがない。また、上でも触れているが、ヨーロッパ向けには一部の国で"TOPCON"名がクレームの対象になり、レンズと同じ"TOPCOR"名に変更され、"TOPCOR R"と刻印されたボディもある。

Beseler Topcon C

ベセラートプコン C
BESELER TOPCON C

 トプコンRIIの輸出モデルで、プリズムカバー前面に"Automatic"の刻印はない。同じ名前でトプコンRIIIのボディになったものも61年には発売されているが、既にシステムカメラの購買層は59年発売のニコンFに奪われてしまい、売れ行きは芳しくなかったと言うより、ほとんどジリ貧状態に陥っていた。ベセラー側はRIIIバージョンのベセラーCでは競争力はないと判断し、東京光学が開発を進めていたTTLカメラの話を聞くや、急き立てるようにその完成を心待ちにしていた。しかし、世界初のTTL測光式一眼レフカメラになったREスーパーは、やはりどのメーカーも達していない領域の機構の開発だけに時間が掛かり、しばらくはこの「C」型で耐え忍ばねばならなかった。

 

 これらの最初期のトプコン製一眼レフはかなり堅実に作られており、未だに何の不自由もなく働いてくれる。以前(03年頃)の中古相場は5〜6万円程度であったが、現在(17年)はフィルムカメラの需要が大幅に低下し、レンズはまだしも、ボディは1万円程度にまで下がっている。面白いことに、オークションではeBayより国内のヤフーオークションの方が格安に購入できる(レンズ付きで1万円程度で入手可能)が、問題は国内のものはショップで販売されたものならいざ知らず、保証も何もない個人の取引では、結構な確率でファインダー等の光学系に難があると思った方が良いだろう。また、レンズを外して別々にしてオークションに出される場合が多くなってきたが、別々に買うのはかなり割高なので、ボディと標準レンズが揃ったものを買うようにした方が良いだろう。そして、ウェストレベルファインダーが標準で付けられて売られているのを時折見かけるが、ペンタプリズムファインダーが単体で売りに出されることはまずないので、こうしたものに手を出さないほうが無難である。レンズやプリズムのカビなど、その保管状態からくる問題は別として、Rシリーズは機械的な部分ではほとんど不安な点はない。唯一気になるところはシャッター周りで、経年劣化のため若干不都合の生じたものが見られる。この頃のフォーカルプレーンシャッターの幕速は、後のモデルとは比較にならぬほど遅いが、その条件下でギリギリに設置された1000分の1秒のシャッタースリットはとても狭く、ここがうまく作動せずに閉じきったままになってシャッターが切られてしまうようになりやすいようだ。あまり高速シャッターを使用しない場合、この点を確認しておいた方がよいだろう。ただし、これは誰でも直せるのであまり心配することはないのだが。しかし、保管の際にシャッターを切った状態にしておくことは言うまでもない。
TOPCON single lens reflex cameras of these beginnings term are made quite steadily, do not still have any inconvenience, and be working. The rate of used Topcon R camera is about 50,000 - 60,000 yen (2000-2005). Probably, it will be safer not to dabble in such a thing, since a pentaprism finder is hardly taken out with a simple substance to sale, although it sees occasionally that a waist level finder is attached as standard and sold. Mold grows in a lens or a prism corrodes. However, probably, there is almost no mechanical failure. It has a problem in the speed of a shutter, if a tune is bad. It seems that the shutter slit for 1/1000 second is very narrow. I check the Topcon R body that the slit does not open in 1/1000. You will be better to check this point, because a high-speed shutter is seldom used.

 

 トプコンRの登場とともに現れた交換レンズは、35mm・100mmのオートトプコールと、90mm・135mm・200mm・300mmのプリセット絞りのRトプコール各種である。このうち135mmと300mmについては、明るいものと暗いものが用意されていたが、特筆すべきは135mm F2と300mm F2.8の“高速レンズ”である。東京光学では戦時中にすでに50mm F0.7という信じられないほど明るいレンズを完成させていたので、この位は容易なことだったのかもしれないが、それにしても1957年にサンニッパとはびっくり仰天ものである。このレンズについては「トプコールのページ」で詳しくお話するが、ともかく次のサンニッパであるニコンの製品の一般向け市販は、1977年まで待たなければならない。それにしても、なぜ500mmや800mmなどの超望遠レンズではなくこうしたレンズを作ったのか、その意とするところは不明である。なお、レフレクタートプコール1000mm F7というレンズ59年のカタログに載っているが、これは残念ながら発売に至らなかった。
The interchangeable lenses which appeared with the appearance of TOPCON R are various kinds of the Auto Topcor of 35mm/100mm, and R TOPCOR (a priset diaphragm) of 90mm/135mm/200mm/300mm among these - although the bright thing and the dark thing were prepared about 135mm and 300mm - it should mention especially - it is the "high-speed lens" of 135mm f2 and 300mm f2.8. 50mm f0.7 - such a bright lens was already completed during wartime by the Tokyo optics. Do you believe it ? Although possibly this grade was an easy thing, even so, the 300mm f2.8 lens will be an astonishment thing in 1957. I talked in detail on "the page of TOPCOR" about this lens. We have to wait for marketing of the product of NIKON which is the next 300mm f2.8 lens at any rate till 1977. However, TOPCON did not build the super telephoto lens 500mm /800mm those days. Furthermore, the Refrector Topcor 1000mm f7 is appearing in the catalog in '59. However, this was not launched regretfully.

 

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