TOPCON CLUB(トプコンクラブ)
愛すべき駄モノクラブ

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RE200Damo.jpg  トプコンのカメラはREスーパーのイメージが強く、とかく高級機と見られがちであるが、決して高級機専門メーカーではなく、中級機・大衆機も並行して数多く作っていた。トプコンRシリーズの時代にはPRやウィンクミラーが、REスーパーの時代にはユニやユニレックスがあり、レンズシャッター式一眼レフがその役目を担っていたことは明白である。しかし、70年代に入って、セイコーシャがSLVシャッターの供給をストップするとトプコンもいよいよレンズシャッター機から手を引かざるを得なくなったのだが、ユニレックスのボディ回りを大改造して、電気式布幕横走りフォーカルプレーンシャッターを押し込んだIC-1オートを作り、レンズシャッター機用のレンズマウントであるUVマウントを残すことになった。
 このトプコンの姿勢は、UVトプコールユーザーにとっては有り難いことであったが、正直言ってちょっとこれは営業的に見ると失敗だっただろう。せっかく新たなコンセプトのカメラを作るのであれば、口径が小さくて以前から問題の指摘されていたエキザクタマウントから脱却し、まずこうしたカメラから大きな新マウントを切り開き、徐々に高級機に移行させていけば良かったように思う。結果としてIC-1のような中途半端なモデルは早々に消えて去り、間もなくRE系のマウントを持ったRE200が新たに作られた。しかし、70年代の後半はもう東京光学にしっかりとしたカメラを作る余裕はなく、このRE200は過去のトプコンのカメラからは想像もできないほどの安っぽい作りである。AEも何もない、時代と逆行する内容の単純なTTLカメラであるが、軍艦部は当時各メーカーで新たに使い始めたプラスチックを使い、かえってそのチープさに拍車をかけている。レンズシャッターのユニも、巻上げレバーなどのパーツはプレスして形を作り出していて、裏から見るとスカスカ状態のチープさであるが、パーツ自体は全て金属製であった。
 60年代から70年代にかけて、各メーカーとも、今となってはドイツ製高級機愛好家達にはほとんど見向きもされないような中級機・大衆機を作っていたが、その中には優れたものもたくさん見られる。例えばニコンにはニコマートFTNが、キャノンにはFTbがあるし、トプコンにはRE-2があった。ペトリのカメラなどにも一定の愛好家がいらっしゃるが、このメーカーの場合、メーカー自体大衆機のイメージが強い。ヤシカ、フジカ、ミランダ、コニカ、コーワ、リコー、マミヤなどはペンタックスやミノルタのように一歩上を行くメーカーにはついになりきれなかったが、中には秀逸なものも多く見られる。トプコンの場合、その優秀な技術は昔から認められていて、60年代半ばまではニコンに並ぶイメージを持っていたが、例の営業下手が災いして徐々に萎んでいった。反対に、元々しっかりとした技術を持っていたが、まだ中堅メーカー的なイメージがあったオリンパスなどは、ペンEEで大ブレークした後にOM-1で確固たる地位を築き上げ、完全に一流カメラメーカーの一つに数え上げられるようになった。しかし、高級機一眼レフメーカーといったら、やはり60年代ではFを作っていたニコンと、REスーパーを作っていたトプコンだけだった。70年代になるとこれにF-1を作っていたキャノンと、X-1を作っていたミノルタが加わる。コンタックスの名を借りたヤシカもここに入ってくるかもしれない。こうしてみると、いかに高級機と呼ばれるものが少なかったことか。結局大半のカメラは大衆機または中級機で勝負していたのである。この場合、企業の規模の大小は関係ない。
 さて、こうした大衆機・中級機であるが、現在の中古市場では大半の場合安値で購入できる。昨今の中古カメラブームのため、当時は相手にもされなかったカメラが、その希少性だけの理由で高値が付くことはあるが、そこそこの数が見られるものは基本的にどれも安い。ペンタックスSPやニコマートFTN、ミノルタSRT101やキャノンFTbなどはどれも2万円以下でも売られている。トプコンの場合、RE-2などがこれらの中に入るのだが、このカメラはトプコン=希少のイメージからくるのか、数はそれなりにあるのだが3万円を切るものは少ない。しかし、ユニ〜IC-1の流れの大衆機は2万円台でも多く見られる。黎明期の一眼レフを除いて、極端に高いものの例としてはコーワUW190が挙げられる。これは実際希少なカメラであるので、ある程度高くなるのは致し方ないが、20万円にまで達してしまうと疑問符が付く。といっても、こうしたことは多々あることであるが。
 一部の例外を除き、一般的に見るとあまり価値のないこれらの過去の大衆機も、そうしたものという目で見ると可愛いものである。ここに我々は慈しみと愛情を込めて「駄モノ」と呼び、研究してみたいと思うが、ここではトプコンきっての駄モノ、RM300を取り上げてみたい。

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 RM300は78年頃、輸出専用機としてデビューした、トプコン最後の市販一眼レフ機である。その数ははっきり言って不明だが、それなりに生産されたようである。ただし、カレナやカンタレイ、更にはエキザクタと色々と名前を変えて生産されたので、トプコンの名を持つものについてはさほど多くはなさそうである。
 このカメラの特徴は、何といってもKマウントを採用したことに尽きる。ついにREマウントを捨ててKマウントに移行する第一段階に入ったのであるが、このカメラをもってトプコンはカメラの生産部門を閉鎖してしまう。幻の試作機、AM-1がほぼ完成していただけに、惜しい撤退であった。

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 RM300を上面から見たところ。それまでの東京光学製のRE系カメラは、まるでレンガのように四角い点がデザイン的な特徴であったが、このカメラは平凡な頭の尖ったデザインとなっている。シャッタースピードはB.1〜1/1000秒で、単純なCdSを使ったTTL開放測光機である。当時はどのメーカーもCdSから脱却し、より感度の強く反応の早い測光体を採用し始めており、このカメラの時代遅れぶりは顕著である。ロック機構のないシャッターボタン、ゴムで巻かれたシャッターダイヤル、薄っぺらい板を切り取ってプラスチックの指当てを付けた巻き上げレバーと、往年の東京光学製品を知る者には溜息が出てきそうである。

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 このカメラはRE300と同様、ワインダーを取り付けることができる。当時の中級以下のカメラは、中学・高校生をターゲットにしており、見てくれの良くなるワインダーの装着は必須条件だったのだろう。それにしてもその接続部分も陳腐な作りで、こんなプレス金具で耐えられるのだろうかと心配になってくる。まあ、実際は結構しっかりしてはいるが。
 底蓋自体は真鍮製だが、電池ボックスの蓋はただのプラスチックで、ちょっとずらすとすぐに外れてしまう。なぜこんな作りにしたのか分からない。
 セルフタイマーレバーもメッキされてはいるが、れっきとしたプラスチック製で、一旦下に降ろすと後はフラフラである。

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 後ろから見るとそのなんにもなさに「よくここまでやった」と言いたくなるほどである。よく見ると右下の方に黒いステッカーのような部分があるが、実はこれがシリアルナンバーの刻み込まれている部分である。何しろ軍艦部はプラスチックなので、金属の裏蓋か底蓋に刻むより仕方がなかったのだろう。
 もう一つ強烈なことであるが、このホットシューの台座は軍艦部と一体である。すごい割り切り方である。これとほぼ同じRE300を初めて手にした時は、ちょっと我が目を疑ってしまった。しかし、よくよく考えてみると、取り外し式でないのなら、軍艦部がプラスチックでもあるし、一体化しても問題はない訳だ。

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 RM300とRE300のマウントの違い。KマウントのRM300は45mmというその口径の大きさを活かして、連動機構をマウント内部連結方式にしたが、REマウントの場合、元になったエキザクタマウントが38mmという狭い内径のため、外部連結方式になっている。マウントの違いから、マウントロックレバー(ボタン)の位置はREの右正面からRMでは左側面に移動している。ちなみに、Kマウントのことを、トプコンではAMマウントと呼んでいた。
 マウント以外で細かな違いを述べると、RE300ではTOPCONとRE300のネームプレートの部分が軍艦部との一体成形であるが、RM300はここが色々と取り替えられるように、薄い金属プレートに印刷されたものが埋め込まれている。また、軍艦部自体の色もわずかに異なり、RM300の方は若干光沢が少ない。さらに、写真では見づらいが、軍艦部とマウントカバーの間に入っていたカラーもRM300では省かれているし、内面反射防止のための網目模様のゴムもRM300では下の方まで伸びていないない。元々最低限の機構であったのに、RMではより一層簡素化されている。

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 REトプコールN 55mm f1.7とAMトプコール55mm f1.7を並べたもの。こうして見る限り、コーティングには何ら違いはなさそうである。鏡胴周りにも差はなく、ピントリングのゴムはスーパーDMのものよりも山の目が粗いものを使っている。絞りリングはプラスチック製で、ここが他の金属部分のくすんだ黒と異なり、妙にテカテカと光っているので、その安っぽさに拍車をかけている。かつてのREオートトプコールで使われていたベアリングも省かれている。

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 面白いことに、同じAMトプコールでも二つのモデルがある。左ははっきりとマルチコーティングをアピールしたAMトプコールMCで、右がただのAMトプコール。シリアルナンバーも214で始まるMCと、211で始まる無表記レンズというように、違いが見られる。ここでは分かりづらいが、MCレンズはマゼンタの色がきつくなっている。REトプコールと比べると、その差は顕著である。多少なりとも後期のレンズは改良が施されていたようである。なお、MCの方は絞りリングの形状が他社のKマウントレンズと同じものに変更された。

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 レンズをマウント側から見たもの。左がREトプコールで右がMC表記にないAMトプコールである。正面から見るとあまりコーティングの違いは感じられなかったが、後ろから見るとはっきり異なった色が浮かび上がってくる。すなわち、REトプコールはマゼンタの色が映っているが、AMトプコールではそれにシアンの色が加わる。一説にAMトプコールはどれもマルチコーティングが施されているらしいが、これはREトプコールに一幕加えただけのもののようだ。

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 トプコン駄モノの中の最高峰、RE300。RE200にワインダーを装着できるようにして77年に発売された。それ以外ではRE200とはファインダースクリーンが違うだけで、基本的な機構には何ら変わりはない。当時の販売価格は、RE200の55mm付きが56,000円であったのに対し、こちらは59,000円であった。たった3,000円の差でワインダーの装着できるモデルが買えるのなら、当然そちらの方が有り難い訳で、このカメラが出た時には、ちょっと前にRE200を買った人は悔しい思いをしたことだろう。
 デザインはとてもスッキリしていて、パーツの配置も無理がなくとても使い易いが、いかんせん安っぽい。

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 RE300のクロームバージョン。何とか金属製に見せかけようとしているが、その色は金属にかけたメッキとは光沢の感じに如何ともし難い差がある。
 RE300は基本的に国内ではブラックボディしか販売していなかったが、海外ではこうした白ボディがカタログにも紹介されて売られていた。意外と国内でもこっそり売られていたのかもしれないが、少なくともカタログや広告にはそうしたものは載せられていなかった。
 それにしても、こうして眺めてみると、シンプルながらもすっきりとしていてなかなか格好は良い。

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 こちらは先に出た、ワインダーの使えないRE200。シリーズ中最もシンプルなカメラである。これは上記RE300とは反対に、基本的に白ボディだけが国内では売られていたが、海外では黒ボディも並売された。
 実際に使った感じは、コンパクトでありながら、ペンタックスMEのように小さ過ぎないので、なかなかホールディングに都合が良い。RE200はマイクロプリズムで、RE300はスプリットマイクロの焦点板が使われているが、どちらも焦点合わせに問題はない。スーパーDMとは異なり、焦点板のプリズムの角度がきつく、ピントの山はつかみ易いものの、暗いレンズでは黒くなってしまうので使えない。また、周辺の歪みがちょっと情けない気もする。

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 RE200のブラックボディ。76年・77年の国内広告には見られなかったが、海外の広告にはしっかりと載せられていた。しかし、RE300がデビューした後は300と同様黒仕様も国内で若干であるが販売されたようで、78年の日本カメラショーの総合カタログを見ると、「ブラックは800円高」と記載されている。しかし、もうこの時期はRE300があったので、わざわざRE200を買う人など国内には皆無に近く、そのブラックボディといっても魅力はほとんどなかったろう。それに、何と言ってもプラスチックボディの黒白に、たとえ800円であっても価格差を設けるのはちょっと理不尽な気もする。かえって白ボディの方が色を出すのにお金がかかっているような感がある。

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 エキザクタ名を持つEDX 3というモデルで、RE300のネームプレートを取り替えたもの。と言うより、軍艦部をRM300と同じタイプのものにして名前を変えたと言った方が良いだろう。マウントは当然エキザクタの系統のREマウントである。ワインダーの使えないEDX 2もある。巻上げレバーと巻き戻しクランクが真っ黒になったところくらいしか違いはない。
 海外のディーラーからの要請で作られたOEMもので、現コシナのようにフォクトレンダーの名を買って作ったモデルではない。考えてみるとコシナも70年にツインTLというモデルをEXAKTA名で生産していた。当時はOEMであった。
 こうして見ると、トプコン最後のカメラシリーズがいかにへなへなモデルであるか、ご理解頂けたであろう。はっきり言ってこれがキャノンやミノルタで作られていたら、全く中古市場にも現れないうち捨てられたモデルになったであろう。しかし、トプコンの名が付いていることで、ただそれだけのために時折ひどい値段を付けて売っている店があるが、こうしたカメラはその希少性を加味したところで、大した価値はあるまい。私の勝手な所見を述べさせて頂くと、RE200が2万円、RE300ワインダー付きが4万5千円、RM300が3万5千円といったところが妥当な線だと思う。ある店でワインダー付きRE300が9万5千円という値で売られていたが、目が点になってしまった。もし、このカメラがどうしても欲しいのにカメラ店で見付からない場合、eBayオークションをこまめに見ていることだ。絶対に国内ほど高くはならないだろう。もし妙に高くなったら、それは日本人のビッダーか、私のようなトプコン狂の者達の争いであろう(^^)。
 まあ、それはともかく、このカメラは陳腐なカメラであるが、使い勝手は決して悪くない。露出計はCdSで、その標示もたった三つのLEDを使って大雑把に表したもので、必然的に細かい露出を意識した撮影を余儀なくされるので、かえって基本に戻って撮影を考えるようになる。そして、いかにも格好良く仕上げようとしているにもかかわらず、安っぽいところが一目で分かるほほえましさ。私はここがたまらなく好きである。このカメラに過去の優秀なREオートトプコールを付けて撮影することは、ヤシカFRにツァイスレンズを付けて鯔背なカメラマンを気取るのとはまた違った快感があるような気がする。ニコレックスFにノクトニッコールを付けて喜ぶ人がいるとしたら、ある意味で共通の歪んだ楽しみ方を知っている人かもしれない。何はともあれ、このトプコン随一の世紀の駄モノが、私は大好きである。

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