トプコンクラブ(TOPCON CLUB)〜トプコンよもやま話1

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 ズームトプコールの話2
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RE ZOOM TOPCOR 35-100mm f3.5-4.3

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 さて、もう一つのズームレンズであるREズームトプコール35-100mm f3.5-4.3について述べてみたい。このレンズは80年デビューの最後のトプコールである。生産本数は千本強程度と実に少なく、短命のレンズであった。このレンズを最後のトプコールと表現したのはAMトプコールの存在を無視しているようだが、このKマウントレンズは78年頃には外国で発売され始めた上、基本的に77年に国内で売られていたREトプコールNシリーズと同じものである。しかし、81年にはAMシリーズでAMズームトプコールMC28-50mm f3.5-4.5というレンズが見られる。これはトプコンがカメラ業界から撤退する間際になって現れたものであり、純粋にはこちらこそ最後のトプコールと呼べるものかもしれないが、実際にはTOPCOR名ではほとんど流通していないもので、幻のカメラAM-1と同様、めったに表に現れることはない。実際には海外で多少販売されたようだが、いつ発表されて、どれくらい売れたのかは不明である。このあたりの事情は推測の域から抜けられないが、もし、この事実をご存知の方がいらっしゃったら、ご教授賜りたい。ただ、これが国内で販売されなかったのは事実であり、また、構造上の問題からか、REマウント化されてもいない。その点からするとREズームトプコール35-100mmを国内最後の35mm判トプコールとしても何ら問題はないだろう。
 ところで、このレンズもまた純トプコン製ではない可能性がある。この頃のトプコンには、すでに新しい製品の企画と一貫した社内生産の余力はなく、REトプコールNシリーズはもはや完全自社生産から離れ、下請けが生産を担っていたと言われる。販売はどんどん尻すぼみになっていき、REスーパーの生みの親である河瀬氏も退社され、かつての栄光を取り戻すことは事実上不可能となってしまった時期である。それでも一縷の望みを託してとった窮余の一策がRE200・300シリーズであり、そのKマウント化であったのだろう。これは何ら不思議なことではなく、トプコンがカメラ業界に残るための最後の賭けであったに違いない。そして、これらを海外の写真関連業者に売り込み、そこが保有するブランド名で売り出し、実際それなりの売り上げはあったそうである。しかし、国内ではそうしたことはなく、77年から81年にかけての「カメラ年鑑」等の記載に、REトプコールNシリーズやAMトプコールと同一と思われるものが見当たらない。一部姿形の似ているものもあるが、レンズ構成枚数やスペックが一致しないので、国内でトプコールと併売されたブランド名のものはない。海外のものに目を向けると、カレナールやエキザクタール、カンタレイなどから、CPC Phaseなるブランドで怪しいものまで見られる。もしこれが81年以前に発売されていたら、同一のものである可能性が高い。逆に、81年以降のものならトプコンの後を引き継いだシムコ(シィーマ)のものであろう。このあたりの事実はもはや調べる手立てもほとんどないので、どうしても明確な答えは出せない。唯一はっきりとしたことは、87-205mmはそのコーティングの色が当時の他のトプコールと共通であることから、東京光学で製造されていたものと分かるが、Nシリーズはそれまでのトプコンのアンバーをメインとした単層膜コーティングとは異なり、純トプコン製で唯一の多層膜コーティングレンズであるREGNトプコールM50mm f1.4ともその色合いが異なるということである。もちろん最後の単層膜コーティングレンズであるHIトプコール50mm f1.8とも一致しない。Nシリーズは35-100mmも含めて、シアン系のコーティングが目に付くが、こうした傾向はREオートトプコールには見られず、Rトプコールよりさらに昔の傾向である。こうした点から考えると、やはりNシリーズは他社での生産による可能性が高い。もちろん設計自体はトプコンのもので、コーティングにしても当然新たに変更したと考えられる。同時に生産もまたトプコンで行われた可能性もある。ただし、一説によるとUVトプコール系の生産ラインを長野のとある業者に引き継がせ、そこで生産されていたという話もあり、信憑性は高い。そうなると、Nシリーズも同じところで生産されていた可能性も出てくる。HIトプコールとコーティングの色が異なるのは、Nシリーズの場合、新たな材質の光学ガラスを用いたためにコーティングを変更したか、一部にマルチコーティングが施されるようになったかとも考えられ、そうすると全てつじつまが合うが、いずれにせよ、設計はトプコンで、生産は下請けが行なっていたとすると、OEMとは少しニュアンスが異なる。ちなみに、このズームレンズには、同時期の他の単焦点レンズと異なり、カタログなどにも「N」の文字が付いていない。
 さて、このREズームトプコール35-100mmレンズが発売されていた70年代末から80年代初頭にかけて、各社とも35-105mmクラスのズームレンズを発売し始めており、このレンズはその中では比較的早い時期の製品である。そのためか、その後一般的となる標準系ズームレンズに比べ、長さ・口径・重さのどれをとってもかなり大きい方に入り、その点では87-205mmのように、軽快な感覚からくる使い勝手のよさは得られない。しかし、広角から望遠にかけてほぼこれ一本で事足りる上、マクロ機構も内蔵されているので、最短撮影距離がかなり縮められているのもありがたい(もちろん本格的な接写のためのレンズとしては役不足であるが)。ちょっとしたスナップ写真を撮るなら、これに25mm程度のレンズを加えて持ち歩けばよいので、全体として考えるとかなり身軽な装備で行動することができる。これはトプコールレンズ中随一の利点であるといえる。
 画質の点でもこのレンズは侮れないものを持っている。どうしてもズームレンズは単焦点レンズに比べて解像力の点で劣ると考えられるが、実際に撮り比べてみるとそう大きな差は感じられない。半切以上に引き伸ばせば細部で多少の違いが見られるかもしれないが、四つ切程度までならほとんど見分けはつかない。それどころか、このレンズはかなりコントラストがしっかりしているので、一見したところではかえってこちらの方が優秀な描写力を備えているかのようにすら見えることもある。開放で若干四隅が乱れる傾向があるようだが、全体的な画質は決して悪くなく、絞り込むにしたがって周辺部の画質も向上するので、かなりレベル的には高いレンズであるといえる。これは広角側でも望遠側でも変わらない。
 ほとんど店頭に並ぶこともないマイナーなレンズであるが、それが災いしてコレクターズアイテム化し、極まれに見かけるとたいがい10万円前後の値が付いてしまっている(最近はアメリカからの里帰りものが多く、5万円程度で手に入るようだ)。もっと気軽に多くのトプコンファンがこのレンズのよさを味わえるといいのだが。

【追記】REトプコールNシリーズは埼玉にあったシマ光学(後のシィーマ)に生産を依頼していたが、設計は全て東京光学により行われたとのことである。なお、当時の東京光学のカメラはRE200系のものが多くを占めるが、これらは海外で色々な銘柄に変更して売られ、その生産台数はおよそ10万台に上ると言う。

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10群11枚構成 画角64〜24度 最短撮影距離38cm 回転式ヘリコイド フィルター径67mm
長さ×最大径91.8×70mm 重さ570g価格68,500円(80年当時)

AM ZOOM TOPCOR 28-50mm f3.5-4.5

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 76年のRE200から始まり、翌77年にRE300へと発展し、交換レンズも一通り揃えた「N」シリーズであるが、これをKマウント化してRM300を海外で発売したのが78年である。同時にNシリーズレンズもAMトプコールとして生まれ変わったが、面白いことにここから「MC」の文字が各レンズのネームに加わり、マルチコーティング化されたことをアピールしていた。しかし、70年代末は各社から高性能なコンパクト一眼レフが矢継ぎ早に発売され、それらのどれもが明らかにトプコンRE/AM300よりもモダンで垢抜けたもので、AEやワインダーの装着は当たり前の時代となっていた。当然、東京光学でも低価格路線によって海外でそこそこ売り上げを伸ばしたこのカメラでは、競争力を急激に失っていったことは分かっていて、新たにペンタックスME/MXやキヤノンAE-1の人気ぶりを横目に、コンパクトで魅力的なAE一眼レフを開発している真っ最中であった。それがようやく形となって発表されたのが81年で、トプコンAM-1と名付けられた。残念ながら、せっかく完成した高性能な小型一眼レフであったが、東京光学では35mmカメラからの撤退が決定し、順次駒村商会からの依頼で生産を細々続けていたホースマンのシリーズも、少し後のER-1からはカメラ・レンズ名ともにトプコンの文字を消してしまった。このような状況下で、撤退寸前に売られていたのがこのAMズームトプコール28-50mm f3.5-4.5である。RM300が最後まで国内販売されなかった結果、このレンズも国内では出回らなかった。海外では色々名を変えたものが出ているが、それもトプコン時代のものか、その後のものかは分からない。
 ところで、AM-1やAMトプコール各種の図面は、そのまま下請けのシマ光学(シィーマ)に譲渡され、すぐにシムコ(CIMKO)LS-1として国内でも販売された。主に、若年層を狙ったもので、デザインはAM-1と全く同じ引き締まったものであったが、やはりシムコとなると、当時はタムロン・コムラノン・トキナー等の下に位置するイメージで、頭角を現してきたシグマやトップマンなどと同列の安価なズームレンズのメーカー的に見られがちであった。しかし、自社銘柄でしっかりしたカメラを世に出した点が、他のレンズメーカーと異なるものの、やはり国内での競争力はほとんどない。良いカメラも名前次第で潰される典型的な例である。
 話をAMトプコールに戻すが、このレンズは35mmカメラ用交換レンズとしては事実上最後のものになる。前にも述べたが、国内販売されなかった結果、ほとんど知られることなく終わったため、あくまで国内最後のものは35-100mmになる。それにしてもこのレンズはとてもコンパクトで使い勝手が良いので、東京光学の撤退は返す返すも惜しいことをしたと思う。
 レンズの構成は9群9枚で、フィルター径は55mm。最短撮影距離は50cmで、これは28mm側でも50mm側でも同じである。ズームは回転式で、50mm側に回して行くと鏡胴が短くなるが、40mm付近で一旦長さは変わらなくなり、最後にほんのわずかだけ伸びる動きを見せる。コンパクトな中に複雑な動きをする筒状のカムが入っているのだろう。残念ながら、現在手元にレンズ構成図はないが、後のMCシムコ28-50mmと全く同じなので、80年代半ば頃のカメラ雑誌等で見られるかも知れない。
 MC表記があるが、コーティング自体は当時の他社のものと異なって淡い印象である。色合いは青系が強かったREトプコールNシリーズと異なり、アンバーを中心に、シアン、オレンジが見える。それにグリーンが加わり、見る角度で色々様変わりする。この甲斐あってかどうかは分からないが、実際に使ってみると、かなり発色が良く、場合によってはまるで絵の具で塗りたくったようなきつい色になることもある。赤味が強いフィルムではそれが助長されるので、要注意かも知れない。解像力は周辺部で落ち気味だが、中心部はとても良く、実用上充分である。ただし、広角から標準までカバーするフードがないので、マルチコートされているとは言え、光の角度によってはゴーストがはっきり写り込んでしまう。
 このレンズでの街中スナップはとても軽快で楽しい。RM300ばかりでなく、シムコやチノン、その他のKマウントAEカメラでも使ってみたくなるレンズである。

9群9枚構成 画角76〜46度 最短撮影距離50cm 回転式ヘリコイド フィルター径55mm
長さ×最大径63×63mm 重さ276g 価格不明

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