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Minolta 35II(後期型)

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種類: II型
発売年: 1955年
メーカー: 千代田光学
サイズ: x x mm
重量:
シャッター: 布幕横走りフォーカルプレーン B、1〜1/500秒
ファインダー: 二重像合致一眼式
標準レンズ: スーパーロッコール 50mm F2、またはF2.8
レンズマウント: L39スクリューマウント
シリアルナンバー: 94415
生産台数:
分類番号: グループ1b

 ミノルタは戦前からある老舗で、昭和天皇即位の礼の翌年、昭和2年(1929年)に日独写真機商店としてスタートしている。はじめて出したカメラはニフカレッテ。これは日独写真機商店の二、フォトグラフィーのフ、カメラのカを組み合わせて、ニフカという造語を作り出した。まだ、この昭和2年という時代は日本の光学、写真機業界はまだまだ、海のものとも山のものともつかない状態であった。昭和天皇の即位の写真も日本製のレンズではなく、フォクトレンダー(もちろんコシナではなく本物の)のへリアで撮影された。まだまだ、日本にまともなレンズ、カメラが無かった時代である。ニフカレッテももちろん国産というには程遠く、ドイツから入れた部品を日本で組み立てて販売というものだった。

 その後、日独写真機商会はモルタ合資会社を経て、千代田光学精工株式会社に名前を変える。1937年のことであった。この千代田光学の社名は20年以上も使われ、60年代初頭に自社ブランド、ミノルタを社名に変えるまで続く、そして、2003年ミノルタはコニカと合併し、ミノルタ単独の歴史は幕を閉じている。
 戦前のミノルタはミノルタフレックスやミノルタSIXやミノルタベストなどを作っていたが、レンズはまだ自社製ではなく、旭光学(現ペンタックス)のプロマー(テッサー型)、コロナ(トリプレット型)などをつけており、まだまだ全て自社製ではなく、ミノルタフレックスは優れたカメラであったが、まだまだ全体的にはドイツには遠く及ばないという状態であった。そして時は流れ、日本敗戦後、1948年に千代田光学が満を持して送り出した35ミリ精密カメラ、それが、ミノルタ35であった。このカメラはその当時の日本がライカのコピーに徹していた時代(ニコンはコンタックスとライカ折衷)に、非常にオリジナリティー溢れたカメラで、マウントこそライカスクリューマウントであるが、その他はまったく別物であった。

 まず、先進的な一眼式距離計を備え、ライカコピー(コンタックスは除く)はおろか、本家ライカに先駆けてセルフタイマーを内蔵、日本で初めての裏蓋開閉式、シャッター機構もライカのようなニ軸式横走りフォーカルプレーンではなく、三軸式(シャッターを巻き取るほうが後幕、先幕を別々に巻く)方式で、なおかつ、なんとホットシューまで備える先進ぶりであった。フィルムサイズもライカサイズではなく、24×32という経済的で、かつ縦横比率の良いサイズであった。
 標準レンズもオペマ同様の45mmの焦点距離が用意された。用意された唯一の標準はロッコール45mm F2.8、3群5枚のレンズであった。外観も大変凝った形で梅鉢の愛称で親しまれた。ボディー外観もバルナックライカとはかけ離れており、マウント以外はコピーではなく、独創性が強く、非常にヨーロッパ的だ。ただ、この先進性は欠点と表裏一体であった。まず、一眼式距離計であるが、なんとファインダー倍率が0.33倍という低倍率で、なおかつ、基線長が短いという絶望的なもので、標準レンズでも少々危険なにおいがするほどだ。またセルフタイマーがマウント近くにあるため、同じライカスクリューマウントでも、無限遠ストッパーがレンズ側マウント近くの低い位置にあるレンズ(例えば、エルマー5cm、3.5cm、ヘクトール2.8cmなど)がつかない。ホットシューも現在使うとなると、X接点ではなく、かつ形状が独特なので使用できない。そして、1948年に日本でいっせいに多くのメーカー(日本光学、千代田光学、オリンパス、東京光学など)が採用した、24×32(通称ニコン版、日本版)、これが災いした。なんと当時日本を占領統治していたGHQからクレームが付いた。いわくコダックのマウント自動カッターで切れないから変更しろ、とのことであった。欧米人の傲慢といおうか、24×32のカッターを作らず、一方的に自分たちの企画を押し付けてきた。日本も外貨獲得の最大のお得意先でもあり、また占領軍にも逆らえないこともあり、この要求を飲むしか手が無かった。オリンパス35やミニヨンは良かった、レンズシャッターなので変更が容易であった。フォーカルプレーンのニコンとミノルタは苦労することとなる。ニコンはM型から24×34をミノルタは改良型E型F型で24×33、24×34と改良してカッターに対応している。もともとライカサイズはシネ用の18×24をただ画質を得るために横に倍にしたに過ぎず、けっして印画紙と相性の良いサイズでない。Lサイズですら、左右がかなり切られるし、六切以降の大伸ばしでもノートリとなるとかなり天地に余白(リバーサルでは余黒)がでてしまう。六切、四切はワイドサイズがでたが、手焼きではなく、細かい覆い焼き、焼きこみ出来ず、また、半切以上にワイドサイズが無いことからも現在も不便なサイズであるといえる。明らかにこのときに修正する良い機会であったのに、コダックとGHQによりその機会は永遠に失われた。
 ミノルタ35はE型でファインダー倍率が0.7倍と上がり、有効基線長が増加、ホットシューが廃止になり、ファインダーアイピースの横にシンクロ接点が付く(まだドイツ式接点ではない)など小改良が施された。その後Fを経て、II型にたどりつく1953年のことである。まだこの年はライカM3も発売になっておらず、まだ先進性は保っていた。小改良点はシンクロがX接点になり、接点も現在一般的なドイツ式接点になる。ただシンクロスピードは1/25秒と1/8秒の間でかなり遅い。しかし、この35IIは5年にも及ぶロングランで、ライカM3や他社の脱バルナックコピーが次々と繰り出されるにおよんで次第に競争力を失っていく。
 35IIには前期型と後期型があり、前期型はI型以来の丸みを帯びた感じのボディーであったが、後期型からやや角ばったボディーとなった。またレンズも伝統の45mmから50mmに変更になる。用意されたのは50mmF2.8(45mmの改良型、5mm焦点距離が伸びたことにより口径食が軽減された。レンズ構成は同じ)と50mmF2(ズミクロンのデッドコピー)に変更される。ただ、ミノルタ真の大口径標準レンズは、次の35IIB型につく50mmF1.8を待たねばならない。
 このように苦戦を強いられたミノルタは1958年に35IIB型を出す。これでやっと24×36mmのフルサイズとなる。ファインダー倍率も0.8倍に上がり、巻き上げもレバーになった。が、所詮は小改良型、なかなかライカM3や国産の脱バルナック方レンジファインダーに比べると明らかに旧式の感があった。が、これはリリーフに過ぎず、本来はライカM3を目標にしたミノルタスカイでミノルタのレンジファインダーは完成の域に達するはずであった。が、これは結局世に出なかった。それにはこのようなエピソードがある。田嶋社長が試作機を持ってアメリカへマーケティングに行く、行く時は意気揚々と首からスカイをかけていったが帰りは鞄にしまったまま悄然と帰ってきた。これはあかんわ・・・とのことで結局ミノルタは一眼レフへ方向転換、ミノルタSR-2で一眼レフ市場に参入していった。商業的にはその方向で正解なのだが、個人的にはスカイが発売になればもしかしたら手に入れてそれで撮影が出来たかもしれないと思い、惜しく感じることもある。スカイ用レンズはミノルタ35IIB用やミノルタSR用に流用されていった。
 ミノルタはレンズを、ほぼ当時のフルラインナップそろえているが、広角レンズは遅く、35IIB型の頃にやっと出ている。レンズは、35mm F3.5、35mm F1.8、45mm F3.5、50mm F1.8、50mm F2.、50mm F2.8、85mm F2.8、100mm F3.5、110mm F5.6、135mm F4と望遠側が豊富である。35mmは数が少なく高価でめったに見ない。100mm F3.5は見たことが無いが有るという話は聞く。所有レンズは50mm F2、85mm F2.8、110mm F5.6、135mm F4である。
 ミノルタの語源は一説に「実る田」であるらしい。レンズ名ロッコールは六甲山より由来。東京に多い光学、カメラメーカーの中にあっては珍しく大阪が本拠地のちょっと変わったメーカーで、戦後はレンズの溶解から全て自社でやった(ロッコールは)珍しいメーカーである。80年代ロッコール名が消えたのは一説には全てのレンズを溶解から全てができなくなり、ロッコール名を廃止したと、一説には言われているが確証はまったく無い。

作例:「リスリスちゃん」

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ミノルタ35II(後期型) スーパーロッコール 50mm F2
シャッタースピード〜1/100秒 絞り〜F5.6 フジ記録用ISO100

 このボディーに標準で付いていたのがスーパーロッコール50mm F2である。ズミクロンそっくりの構成図で、デッドコピーと悪口を言われることもある。ズミクロンは新種ガラスを使っているのに対して、ロッコールは従来のガラスで性能は落ちるといわれている。ただ、真鍮製の鏡胴はずっしりと重く、重厚感に溢れている。小さなボディーに対してこのレンズは大変大きいのでボディーにつけるとアンバランス。レンズ構成6群7枚。フィルター径40.5mm。
 今回はネガフィルムでテスト撮影した。ネガのため色はなんともいえない部分も有るが、やや黄色実が乗ることが多かった。シャープネスはそこそこあるが、切れるようなシャープさというわけでもない。全体的にコントラストもやや低めである。逆光にはめっぽう弱く、逆光で撮ったほとんどのコマにゴーストとフレアーが見られた。まだコーティングが単層でまた質もよくないためだろう。6群のレンズ構成のため。光の反射する面が12面もあり、やはり不利なのだろう。まだまだ、このくらいのコーティングではゾナー型の方が有利だろう。全体としては非常にオールドな感じのレンズである。ズミクロンに比べるとやはりまだ落ちる気がする。ミノルタ独自の大口径レンズの名玉は35IIB用のスーパーロッコール50mm F1.8まで待たねばならないのである。

by 絶版倒産カメラ狂

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