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Fed 1a(ФЭД)

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種類 : 1a
発売年:1934-1935年
メーカー:Fed
サイズ:135x68x43mm (with lens)
重量:430g(Body)-115g(Lens)
シャッター: Focalplane type B(z)-1/25 to 1/500s.
ファインダー: 二重像合致二眼式
標準レンズ:fed(Industar-10?) 50mm f3.5
レンズマウント: L39・スクリューマウント
分類番号: グループ1a

 コピーライカは戦争によって世界中で国策として研究開発されたが、ソ連はその魁と言ってよいだろう。フェドのバリエーションは多く、ここでは1aを掲載するが最初のタイプということで、フェドの歴史的な部分も取り上げた。
【歴史】
 世界的にも1930年代から1940年代にライカを自国製に切り替えるため英国、米国、そして日本でもコピーライカが国策として開発されていったという背景があり、コピーライカは戦争により広がった。しかし、戦争による理由ではなくコピーライカを生産した国があった。それがソ連である(日本のキヤノンもそうですが)。とくにソ連では自国製とすることにこだわったようで、この時期にはあらゆる産業の国産化が図られたようである。

 1928年スターリンの五カ年計画から始まったそれらの産業は1930年、スターリンがロマノフ王朝時代の財宝を国外に大放出して資金を得てから整い、この時代に開花したロシア製の35mmカメラや時計のクロノグラフは現代でも生産され輸出もされている。英米ではコピーライカの多くは戦後に衰退してしまったが、ソ連では1947年にはモスクワ近郊に興した企業、KMZでЗоркий(ゾルキ)というブランドでも生産が始まり、総計で、なんと数百万台のライカタイプのカメラが生産された。

【フェドの成り立ち】
 FEDは西欧の企業とは大きく違い、ウクライナ、ハリコフに創設された青少年のための国営の労働矯正施設からスタートした。混乱さめやらぬソ連(とくにウクライナは大混乱中であった)には、飢饉も多発、孤児も多かった。そのような孤児のためにマルクス主義に則した、生産的な仕事と中等教育を結合した施設の計画が提唱されていた。この施設は、提唱者でソ連建設に貢献したチェキスト、F・E・ジェルジンスキー(Felix Edmundovich Dzerzhinsky 1926年没)を記念し、その頭文字を冠して1927年、FED(ФЭД)と名付けられたのである。
 FEDは目を見張るようなスピードで発展を遂げ、木工家具を手始めに、電動ドリルの生産、そして1932年からコピーライカを開発、生産し1934年には大量生産が出来たのである。その頃には「Sovetskoe Foto」誌という、印刷もデザインも作品も素晴らしいカメラ雑誌も発行されており、ソ連にカメラブームがやってきた、というわけであった。
 ウクライナがソ連構成国となった後はFEDは大コンビナート化し、軍需産業に転換する。ウクライナへのドイツ侵攻後、シベリア、ノヴォシビルスクのベルドスクへ移転しながらカメラ製造は続いた。戦禍で一度工場が壊滅した後もカメラ生産は続き、現在では航空機のジェットエンジン関連のハイテク関連に専念してしまったが1997年まで65年間に渡り多種多様なカメラの生産がなされていた。
 フェドはウクライナで製造されていた。しかしボルシェビキ(ソ連の母体組織)がプロデュースしたものであり、蛇足になるが、ソ連製とするのがやはり正しいだろう。ウクライナはドイツと反発しながらも密接であったこともフェド誕生のひとつのヒントになると思う。

【N.K.V.D】
 1935年以降、FEDはNKVD(一般に秘密警察と訳されることが多い)に徐々に管理が移り、カメラのトップカバーに[NKVD]の刻印が加えられた。一般的に見られる戦前タイプのフェドは通称、フェドNKVDである。
 FED創設者のジェルジンスキーは、紹介文にソ連のCIAことKGBの創立者、と書かれる人物で、NKVD(後のKGB)はスターリンの大量粛清執行で有名な秘密警察である。それが生産していたというので我々旧西側の人間にはなんとも恐ろしげなカメラだったのだが、実際のところカメラ生産自体にはそういった意味での政治的意図はなかっただろう。単なる取扱商品であり、人民アサリとか安価なスーツみたいなものではないだろうか。

 よりいっそうソ連製カメラの理解を深めるためにもウクライナの歴史については以下のURLも参照されたい。日本語ページで判りやすくウクライナの歴史が書いてある。中央ヨーロッパは華麗な建物や豊かな文化に幻惑されてしまうが、過酷な歴史を持つ国が多い。ウクライナも例にもれず悲惨、苛烈な歴史を持つ。
A history of 20th Century (http://www31.ocn.ne.jp/~nero/index.html)

 また、フェドから少しはずれるが、ソ連製コピーライカには同時期にVOOMPがあった。フェドよりも若干大きく、レンズは絞り位置から見てエルマーコピーで、ライカマウントではない40mmのスクリューマウントと言う仕様、生産は1934年から1935年まで一機種のみだった。このVOOMPは後にGOMZ(さらに後はLOMO)になり、このウクライナのコンビナートではスポルト、戦後にはレニングラードといった有名機種を生産して、現代ではコンパクトカメラのロモが大人気である。
 VOOMPなど、ソ連製の初期のカメラについてはイタリアンコレクター、アスキーニさんのサイトも参照されたい。(http://www.geocities.com/asquinet/)

【ФЭД 1aについて】
 1934年頃から本格的な生産が始まったフェドはライカIIのコピーモデルで、アルミニュウム製のチューブボディーに板金筐体のシャッター機構が収められている。開発が始まった頃、ライカはフィルムディスタンスが均一ではなかったためかFedもこれを踏襲しており、レンズとボディーは1台づつマッチングさせてやらなければならない。ソ連製のLマウントレンズは無限遠が出ない、という噂はここから来ていたのであろう。
 1aのレンジファインダーは分離の良い見やすいファインダーだが、着色が無く、経年劣化により薄くなったものはいささか見難いのが難点だ。
シャッターフィーリングはソ連製としては比較的ソフトな印象だが、10台あったら10台違う、このあたりは調整により変わるものと思われる。
 1aの外観特徴の大きなものとしては、背面には圧板を貫通する「覗き穴」があり、円いフタがある。シボの「目」の大きなグッタペルカ=ヴァルカナイト(Vulkanit)貼りで、ヴァルカナイト(エボナイト)は熱処理で固くなり、これに塗装をしてあると金属のようにも見える。ソ連製カメラはボディーを塗装して化粧直しをしたものも多く、金属外皮だという誤解があるようだ。極初期のフェドにヴァルカナイト貼りではないタイプも存在するが、一部を除きソ連製コピーライカは基本的にヴァルカナイト貼りである。
 トップカバーは前述したように「NKVD」の刻印はなく、「FED(ФЭД)/Trudkommuna/im./F.E.Dzerzhinskogo/Kharkov」とキリル文字で彫刻がある、意味は「フェド、F.E.ジェルジンスキー労働党コミューン、ハリコフ(地名)」といったところ。
 シリアルナンバーは戦後のソ連製の多くが年数を表す二桁の数字がアタマに付くのと違い、おそらく積算式だ。1aの総数は不明だが、#8000番代では次のモデルである1bと共通点が多く見られるハイブリッドタイプである。総数は推して知るべしだろう。ちなみに、この#8000番代はNKVDである。しかし1aの特徴を多く持っている。
 1aのシャッターダイアルは後のタイプよりも若干大きく、ダイアル基部トップカバーはU型ではなく半円である。通称ではラウンドトップと呼ばれることもある。1aのラウンドトップでは、すこし凹んでダイアルを包んでいる。1aでは、外観上の特定は以上が大きなもので、シャッターボタン周りやノブの形状、ローレットの細かい、粗いなど、数少ない個体を検証したなかでも様々に相違点を発見できるため、特定には役立たないかも知れない。
 レンジファインダー連係レバーのローラーは小判型、ライカと異なる部分である。これは、初期のФЭДの仕上げは良い意味でも悪い意味でも手作りで、いわゆる工業製品とはテイストが随分と異なり、ヤスリの跡も生々しく、一品一品パーツを摺り合わせて作り上げられたのであろう。特に、ここにあげたタイプは全身鱗状に細かいヘアラインが施されており、あるべきところにアクセサリーシューがないため、実に独特な雰囲気がある。
 標準レンズは50mm F3.5 ФЭДとだけ刻印があるように、名称はФЭД-10である。エルマーとよく似たデザインだがzeissのテッサータイプであり、エルマータイプとは異なる。当初、レンズは前述のVOOMPと共同で製作されたという。

【交換レンズとアクセサリー】
 100mmf6.3、28mmf4.5、50mmf4.5macroというラインナップで、28mmf4.5には傾斜カムがあり、50mmf4.5macroを除いて距離計と連動する。標準レンズのエルマー風のデザインから、フェドのレンズはライカコピーと言われていた。だが、28mmレンズの傾斜カムや、100mmとマクロレンズの独特なデザインなどを見ると、コピーとは言いにくいし、フェドは純国産化が大命題であったと思われるのだが。
 アクセサリーも1937年までに出揃った。それらは電気露光計、セルフタイマー、雲台、レリーズ、ファインダーなどなど多彩であった。デザインにもオリジナリティーがあり、電気露光計、セルフタイマーなど大変面白いが、アクセサリーの入手は難しいだろう。値段的にはライカやノンライツの数分の一、それ以下かも知れないが、圧倒的に流通量が足りないのである。

【バリエーション】
バルナックタイプのフェドは大きく分けて、戦前、NKVD、戦時中型 と戦後型に分類され、Fed 2に対応してFed 1と便宜上呼ばれることもある(ここではそれを利用してFed 1とする)。
 よく目にするソ連製コピーライカにはスローダイアルがない。しかしスローダイアル付きも存在する。購入時に付いてくるケースなども良く見ると、スローダイアル用の切り欠きのあるものも見られるのだ。
 1932年10月"ライカ1a"のデッドコピーという最初の三台が造られ、翌33年に新たに30台程度が製造されたとされる。これらは博物館級だが、1934年から量産型が20年余に渡って造られ、基本的なデザインは不変であった。
 以下はバリエーションである。
 ●1a 1934-35年 ●1b 1935-37年 ●1c 1937-39年 ●1d 1937-39年 ●1e 1942-46年「BERDSK」●1f 1949-53年 ●1g 1953-55年
*シリアルナンバーでの分類は、まだまだ研究途上と思われるのでここでは触れない。
*形状で分類するのではなくNKVD刻印以降を1bと分類するのが一般的。
*中間期には両方の特徴を持ったハイブリッドタイプも存在する。
*再設計された戦後タイプはライカマウントに完全互換。
 シリーズ中のスペシャルと呼んで差し支えないと思うが、Sシリーズというのがあり、キリル文字では「C」と表記される。Fed-1Cは 50mmf2のレンズと1/1000シャッターモデルでバリエーション、製造年代はいろいろある。他に「シベリア」というタイプがあるが、後に改装されたスーベニールの類かも知れない。なにしろ、長く作られているだけにバリエーションも、タイプも、またモデルも多種、多様なのである。
*参考:ソビエト連邦カメラ (http://cccpcamera.myhome.cx/) このサイトは日本語で、バリエーション一覧が閲覧できる。
 インターネットで簡単に見ることが出来て参考になるのはこれらの他、以下がある。
Oscar Fricke
The Dzerzhinsky Commune (http://www.fedka.com/Useful_info/Commune_by_Fricke/commune_A.htm): Birth of the Soviet 35mm Camera Industry
HISTORY OF PHOTOGRAPHY, VOLUME 3, NUMBER 2, APRIL 1979

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作例

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Fed Macro 50mm F4.5

by みらんぢ

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