ビンテージモトクロス奮戦記

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練習風景(96年5月)
mx0.JPG  これは相模川の河川敷で練習している時の様子。昔から草エンデューロなどにはちょくちょく出ていたが、ツインショックモトクロスを始めたのは95年から。初めは77年型のカワサキKX125を使っていたが、所有していたカワサキ125TRボブキャットに乗らなくなり、大改造してモトクロッサーにしてしまった。大改造といっても、いまさらこんな古いバイクのパーツなんて出ている訳がないので、余計な部分を全て削ぎ落として、フロントタイヤを18インチから21インチにアップし、シートを特注してリアサスを昔のYZ用に交換した程度である。マフラーはノーマルを途中で切り取り、後半をチャンバー状の形のものを溶接してサイレンサーを付けた。後はリアスプロケットを大径のものに交換している。
 結構きびきびと良く走ってくれるが、さすがにトレール車であり、本物のモトクロッサーにはパワー足回りともかないっこないが、ちょくちょく練習している内に体が馴染んできたせいか、それなりに走れるようになってきていた。

95年5月14日ブルカップエンデューロ

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 このエンデューロは別にツインショック専門のエンデューロではなく、一般の大会に参加したものである。場所はコマツの試験場で、現在も行われている大会である。バイクは借り物のKX250。結構速かったが、フロントサスが御覧の通りコーナーでも底突きしてしまうほど柔らかく、事実上死んだものだった。特にガレ場の下りは大変な思いで走っていた。途中、キャブの調子が悪くなって整備に時間がかかって、走れたのは1/3程度であったが、久しぶりであったためか実に楽しいレースであった。

96年6月8日第1回A.C.Tユニオンビンテージモトクロス

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 場所はフジスピードウェイ内バンク下MXコース。バイクは125TRボブキャット改で出場。このカットはヒート1のスタート直後の写真である。前の2台が接触・転倒したのに巻き込まれてしまい、にっちもさっちもいかなくなってしまった。おかげで15台中12位に甘んじてしまったが、この前に行われたゼッケン決めレースでは8台中3位だった。しかし、希望するゼッケンは1位の人に取られてしまったが…。

 少しでも遅れを取り返そうと必死に走る私。無理してハイスピードでコーナーに突っ込むせいか、少々アウトにふくらみ気味のラインになっているのがおかしいところ。あの時の心情が良く分かる一コマである。

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 ヒート2では普通に走れたが、3周目になぜかエンジンが止まってしまい、わずかなタイムロスになった。すぐに走り出せたので何ということもなかったが、順位は18台中7位。ほとんどがモトクロッサーなので、その中でこの成績なら、まあいいかと一人勝手に納得していたものである。これではより上を目指そうという気持ちが薄いことの証明のようなもので、実際今でも楽しめればそれでいいと思っている。

 一緒に参加したYakoさん。年齢はそこそこいっているのだが、ものすごく速い人で、出場するレースはほとんど一位を取る。このバイクは一体何かと思うが、実はこれスズキSP370のフル改造バージョン。もう、ここまで来ると何が何だか分からなくなってくる。オープンクラスのレースで、並み居る2stモトクロッサーを押しのけて優勝した。しかし、このエンジンはノーマルである(こればっかりは改造したくってもパーツがない)。また、他のライダーもかつてセミエキスパート(今でいう国際B級)辺りまで行っていた人がいる中での優勝である。本当にすごいことだ。

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 もう一人一緒に参加したHoriさん。この人も若かりし頃はガンガンMFJのモトクロスに参加していた経験を持つ。これは4stクラスのレースであるが、XL250Sをボアアップしてフロントタイヤを23インチから21インチに下げたものを駆って出走した時の写真。結構大胆な走りで、見ている側を喜ばせてくれるところがすごい。順位は3位であったが、出走台数が少なく、全5台中の数字である。もちろん、充分実力のある人であり、いつまでもモトクロスから離れられない気のいいおじさんでもある。

97年6月24日YDSクラブ主宰ビンテージモトクロス

mx6.JPG  上九一色村の「スタックランド」というコースで行われたレースで、この手の草レースとしては以前からずっと催されてきた由緒正しい大会である。私は例のごとくカワサキ125TRボブキャット改で出走したが、この写真はそのスタート前の写真である。集まるように言われて先にスタート位置に着いたが、皆なかなか集まらなかったのでゴーグルを取って待っていたのが運の尽き。ぼんやり待っていたらいきなりスタートになってしまい、ゴーグルをつける暇もなく走り出す羽目になってしまった。3台ばかりが前に出たが、その巻き上げる埃が目に入って、運転どころではなかった。

 先行する3台は速い人達なので、無理に追わずに少し離れて埃から遠ざかる作戦を取った。後ろにCRエルシノアのライダーがいたが、この人に抜かれることはまずなさそうだったので、結構楽しみながら走っていた。しかし、曲がりくねった所では差を付けられるものの、正面の長い直線はさすがにトレール車では太刀打ちできないはずだが、ウォッシュボードのように荒れていたので、そんなに相手もスピードに乗れないようだ。

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 爽快にコーナリングする私。といっても、3位の人はもはや遥か彼方〜。5位の人も視界から消えて、1人ですいすいと気楽に走っている。しかし、ここはスタックランドという名前の通り、起伏が激しく荒れたところもそこら中にある、少々骨董品バイクにはキツイコースである。
 そんな訳で楽しく走っていたら、後1周になった。このままゴールかと思っていたところ、コースの途中でエンジンが止まってしまった! 以前のようにすぐに走り出せるかと思って何度もキックしたが、うんともすんとも言わない。キックだけで汗だくになっている横を、後ろを走っていた人達がスイ〜っと抜いて行く。また何とか火を入れようと盛んにキックするが、もういかんともしがたい。レースはとっくに終了して、ただ1人、人知れず取り残されてしまった。何とか押して戻ったが、先ほど申し上げたように起伏の多いコースである。軽いバイクとはいえ、すごくきつかった。
 何とか戻ってみると、何事もなかったように次のレースが行われようとしている。ちょっと空しくなって、汗となって大量に体外に出てしまった水分を補給すべく、コーラをがぶ飲みしてしまった。最終結果はナゼか5位だった。

 一緒に参加した仲間たちの記念写真。この3人でチーム対抗戦にも出場。ゼッケン234のXL250Sを用いたものの、持ち主のHoriさんはお疲れのようで2周で私と交代。その私は初めて乗るこのバイクにどうも馴染めず(エンブレをかけると止まってしまう)、四苦八苦していたが、4周目についに大転倒。えらく時間をロスしたが、Yakoさんの血気迫る走りで5位入賞(本当は3位だったという説も)。全く頭が下がりっぱなしである。それにしても、いくつになっても若者のように土の上を走るこの2人は、本当にカッコイイと思う。

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90年代後半には他にも何度か走っているが、残念ながら写真がないっす。
久々にレースに復活しました。詳しくは次のページで。

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