TOPCON CLUB(トプコンクラブ)〜その他の愛機

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 ノリタクラブ 1
 NORITA 66 camera & NORITAR lenses 1

NORITA CLUB No.2
TOPCON CLUB INDEX

グラフレックス・ノリタ 66 ノリタール80mm f2
GRAFLEX NORITA 66 NORITAR 80mm f2
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 68年に武蔵野光機によって作られたリトレック6X6をノリタ光学が引継ぎ、アメリカに「グラフレックス」の名を冠して輸出されていた中判一眼レフ。72年になってようやく国内発売したが、これは海外での売れ行きが比較的好調で、初めて自社ブランドのカメラを作ったノリタ光学としては、石橋をたたいて渡る作戦に出たものらしい。ちなみに、ノリタ光学は東京光学と縁が深く、ここのカメラ技術者の多くが東京光学出身の腕利きだったという。
 シャッター速度はB.1〜1/500秒で、一般的な布幕フォーカルプレーン式。120と220フィルムの切り替えダイアル(巻き戻しダイアルのように見える部分)を備え、フィルム圧板を裏表にすることでどちらのフィルムも使えるようになっている。また、多重露光のスイッチも設けられ、これも簡単に切り替え可能である。巻き上げは2ストロークを要し、そのうちシャッターチャージに約1ストロークと少々が充てられる。
 中判フォーカルプレーンシャッター一眼レフは、クイックリターンミラーを備えたものの場合、そのショックがかなり手に感じられるが、このカメラは実に穏やかである。ペンタックス6×7やゼンザブロニカS2に比べると、35mm一眼レフのシャッターを切っているかのような錯覚さえ起こる。しかし、リトレック6X6に備えられていたミラーアップ機構が省略されているのは少々残念。当時の雑誌記事によると、リトレックはここが弱点になっていて、それを省くことで故障の不安を消したとのことであったが、中判一眼レフだけに何とか工夫して残してもらいたかったものだ。

 上の写真はグラフレックス名のないノリタ66。主に国内で販売されていたが、アメリカでもグラフレックス名のないモデルは売られていた。この他に、後期には「NT NORITA」となったものも見られるが、このNTのマークはノリタ光学の当時の商標マークで、ケースや説明書など、あらゆるところで使われていた。この普通のNORITA名や、上記のGRAFREX NORITAのネームプレートは文字が浮き出ているのであるが、NT NORITA名のものはプリントされたアルミ板が枠に貼り付けられていた。ひょっとすると別の名と交換しやすくしていたのだろうか? となると別銘柄のノリタ66が存在していた可能性もある訳だが、今のところ私は未確認である。
 ところで、このカメラはよく見るとプリズムカバーの名前だけではなく、シャッターボタンも異なり、銀メッキではなく黒いメッキが施されている。同様にストラップ取り付け穴も黒メッキになって、ブラック仕上げが徹底されている点が面白い。
 これに対して下の写真は最初期のグラフレックス・ノリタ66で、プリズムカバーに付けられた「NORITA」の名こそ同じであるが、カバーの上部に「GRAFREX」の刻印が見られる。このタイプのものはアメリカに輸出された最初期のもののようで、あまり市場には現れない。ちょっと見た目にうるさい感じが無きにしも非ずであるが、広い面積の黒い部分を和らげてくれるので、そうしたものとして見ているとさほど違和感はないのが不思議なところ。しかし、直ぐにメーカーでも一番上の写真のタイプに変更しているので、やはり後のタイプの方がデザイン的に良いのだろう。
 標準レンズはどちらもノリタール80mm f2。目立たないことだが、中判カメラの開放値がf2なのは非常に稀で、これがノリタの明るいファインダーの一翼を担っている。

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 ペンタプリズムは取り外し可能。しかし、視野率は87%しかなく、これはペンタックス6×7も同様であるが、できる限りプリズムの大きさを小さく押さえるために採った苦肉の策であった。他にウェストレベルやTTLファインダーなどと交換可能。
 交換レンズは超広角の40mmから望遠の400mmまで、全7本のレンズが揃っていた。35mm判に換算すると、24mmから200mmクラスのレンズになる。中でも特に面白いのは70mm f3.5レンズで、これは鏡胴にレンズシャッターを備える。よってストロボは全速同調になるため、日中シンクロやブラウン管画面の撮影に便利であった。
 デザインの統一から、55mmと80mmはそのサイズも相まってまるで同じレンズであるかのようだ。40mmは前玉が大きく、フィルター径も77mmと大きいので、取り付けると結構迫力がある。

 アクセサリーシューは外付け式である。しかし、ファインダー交換式にもかかわらず、トプコンREスーパーやニコンFなどと異なり、巻き戻しクランクの位置(ノリタでは120/220切り替えダイアル)に取り付けるのではなく、プリズムの上に直接載せる形態を採る。シュー自体とても大きいが、不思議とボディとのバランスは取れていて、違和感はさほど感じない。

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eyecupN.jpg  こちらは専用ラバーアイカップで、あらかじめファインダーにねじ込まれているアイピースに直接かぶせる単純なもの。普通のアイレベルファインダーでも、TTLファインダーでも使える。
 このアイカップはカメラの大きさの割に小さく、トプコンREスーパーのものに比べても一回り小さい。遮光にはこれで何ら問題はないものの、ただのゴムで味も素っ気もない作りである。わずかにNORITAの文字が浮き出ているだけがその価値の全てであるかのようなものである。

 中間リングは自動絞りに対応するもので、No.1/2/3の三つに分割できる。当然のことだが、カメラボディそのものがスピゴットマウントを使っているので、この中間リングにもそれぞれマウント固定用のリングが付いている。よって作りは普通のバヨネットマウントの自動中間リングよりも尚一層面倒な作りになっているが、非常に丁寧な作りのため、動作はとてもスムーズである。ノリタにはベローズが用意されていなかったので、接写をする時は必須アイテムであろう。

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 ノリタのマウントはスピゴットマウントで、キヤノンの初期のものやぺトリのものなどとは異なり、ボディ側にレンズ固定用の締め付けリングは設置されておらず、レンズ側にそれぞれ設けられている。と言っても一般的なバヨネットではないので、初めからレンズを正規の位置に合わせてはめ込み、そのままレンズ側のマウント部にあるリングを閉め込むようになっている。
 右の画像は専用マウントキャップのものであるが、これにはリングなど付いていないので、普通にちょっと傾けてから回して固定するようになっている。

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 TTLファインダー。初めの販売から少し経って発売されたもので、初期のカタログや取扱説明書には見られない。シャッタースピードに連動するが、絞りには対応していないので、読み取ったデータを元に自分で絞りリングを回すことになる。また、これを取り付けるためには、背の高い専用のシャッターダイアルがボディに取り付けられている必要があり、気軽にアイレベルと取り替える訳にはいかなかった。

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 それにしてもゴツイカメラである。取り付けた有様はミノルタX-1モーターやキャノンF-1サーボEEファインダー付きを連想させるデザインとなるが、その重みや猛烈な押し出しの強い印象は、いかなる35mmカメラをも一蹴してしまうものがある。

This camera is the medium-size single-lens reflex camera that prefixes the name of "GRAFREX" in America and was exported. The Norita Kogaku took over the Rittreck 6X6 that was made by the Musashino Koki in 68. In '72, it was launched in Japan at last. As for Norita Kogaku the relation is deep with the Tokyo Opt Co. Many of the camera engineers of here were the TOPCON graduate.
The shutter speed is B.1-1/500 seconds and this is a general focal-plane type shutter. This camera keeps the change dials of 120 and 220 film. If you replace the film pressure board to both sides, you are able to use which film. Also, even the switch of a multiple exposure is established and can change easily. Must turn the lever 2 strokes to the winding up of the film. As for the medium-size SLR camera equipped with a quick return mirror the shock of the mirror is very hard, but this camera's shock is very soft.
The penta-prism is able to remove. However, there are only 87% of view rate. This is similar even the Asahi Pentax 6×7. The Norita kougaku made the size of a prism as small as possible. The finder of this camera is able to exchange the waist level and TTL finder.
The standard lens is the Noritar 80mm f2. This is the fastest lens in all of the medium-format SLR camera's lenses. The Norita Kogaku was producing 7 lenses from 40mm to 400mm. The Noritar 70 mm f3.5 keeps the shutter for lens itself.
The accessories shoe is attached to the head of the prism. This is very big size, but the balance with the camera is well.
The auto extension tube is disassembled to three parts. The make quality of this is very wonderful.

 ノリタ66のボディは前期型と後期型の二つのタイプがあり、それらを見分けるポイントは右の写真に見られる巻上げレバー側の横に取り付けられた多重露出用のN/D切り替えダイアルの形状である。左がリトレック6X6と共通のもので、リングを引っ張り出して回すタイプ。これは突起量が多くて手に引っかかるため、当時の『アサヒカメラ』のニューフェース診断室で改善を指摘され、73年には左のようにそのまま回す平たいタイプのものに変更された。しかし、カメラの持ちやすさは改善されたものの、ダイアル自体は回しづらくなった。とはいえ、多重露光を使う機会はあまりないので、問題は全くない。なお、ロールフィルムを固定する板バネの形状も変更されている。

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リトレック 6X6 リトロン80mm f2
Rittreck 6X6 RITTRON 80mm f2
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 このカメラこそ68年に武蔵野光機から発売された、独創的なブローニーカメラで、ノリタ66のルーツである。リトレックと言うと50年代の箱型一眼レフであるリトレック・IIA・S.Pのシリーズや、リトレック・ビューを真っ先に思い出すが、武蔵野光機がカメラ業界から撤退する直前に、このような素晴らしいモデルを開発していた。

 さて、ではノリタとどのような点で違いが見られるかと言うと、まず第一にミラーアップ装置が取り付けられていることが挙げられる。丁度キャノンフレックスRの丸いセルフタイマーと似たダイアルはミラーアップ用のもので、ここの赤い線を上に向ければミラーも上昇する。どうしても中判のクイックリターンミラーは、ブレを引き起こす最も強い要因であるため、これは必需品だったのだろう。実はリトレックの方がノリタに比べシャッター音もミラーショックも大きく、低速シャッターを使う時には気を付けなくてはならない。この点でノリタは改良されていて、ショックが非常に少なくなっている。よってミラーアップを省略しても良い状態になったのであるが、リトレックの泣き所はこのクイックリターンの機構で、ノリタは故障の原因になりがちなミラーアップ装置を何とかして省略したかったらしい。外側からでは分からないが、クイックリターン機構はリトレックとノリタではかなりの違いがあるようだ。
 ファインダースクリーンはノリタではスプリットマイクロのものが使われていたが、リトレックはマイクロプリズムが中心に置かれる。また、ノリタのようにフレーミングの目安になる線が入っていないので、見やすさはこちらの方が良い。ファインダーの明るさはノリタのものと変わらず、中判のプリズム付きカメラとしてはなかなか明るく、倍率も標準レンズで近くのものを見る限りほぼ等倍である(遠景では倍率はわずかに小さくなる)。ただし、視野率はやはり87%しかない。
 標準レンズのリトロン80mmは間違いなくノリタ光学製である。元々このカメラの多くの光学部品をノリタが作っていたのであるが、レンズは構造からコーティングまで全て同じである。ただ、リトロンには絞りリングの後ろにもう一つリングがあり、これを少し回すと絞り込まれる仕組みである。ノリタールではこの絞り確認リングがよりマウントに近い側に移動されている。なお、標準レンズ以外にもノリタ光学では55mmと160mmのリトロンレンズを供給していた。
 裏蓋を開くと、リトレックでは巻き上げ側にフィルムを押さえ付けるためのカーブした細くて薄い板バネが下の方に入っている。ノリタは中心の辺りに取り付けられ、先に細いローラーが入っていて、より洗練されたものとなった。反対側のフィルム押さえ用の板バネは上に付いているが、これも細くて薄い。逆に、やはりノリタの場合中央に太いものが付いている。
 もう一つ違いがあり、一見巻き戻しクランクに見えるところに120/220切り替えダイアルが付いているが、ノリタでは単に「120」と「220」の表記しか見られないのに対し、リトレックでは「120-M」「120-C」「220-M」「220-C」となっており、モノクロとカラーの確認用の表記も兼ねている。結局機能的には何ら変わらないし、かえって煩雑になりがちだが、親切な設計であるとも言える。その他、ストラップの取付金具の位置や多重露光の切り替えレバーの長さなどに違いがあるが、機能的な面から見ると、マウントも含めて両者に違いは見られない。

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 武蔵野光機が全力を挙げて開発したリトレック6X6であったが、その過剰な機能と言うべき細かい作りは小さなメーカーの生産能力を超えていたのだろう。せっかくアサヒペンタックス6X7よりも早くこの形態のブローニー判の一眼レフを開発しておきながら、わすかな台数のカメラを生産した後、志半ばにして相通じていたノリタ光学にこのカメラを託したのであった。

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 ノリタの一眼レフシステムは、他社の中判一眼レフのものに比べて格安であった。77年(ノリタ66が販売された最後の年)当時の価格を見てみると、各標準レンズ付きでブロニカS2が129,500円、コーワスーパー66が121,500円、アサヒペンタックス6X7が176,500円、マミヤRB67が157,000円なのに対し、ノリタ66は113.400円であった(参考:トプコンホースマン985〜269,500円)。交換レンズも他社のものと比較すると、それぞれの焦点距離において相当安かった。では安かろう悪かろうかと言うとそうではない。何しろ各社のプリズムを作って納入していたメーカーであり、一部のブロニカ用ゼンザノンレンズやいくつかの35mm判用交換レンズなども作っていたように、その実力は業界では認められていたことは確かである。しかし、ノリタの名は一般にはあまりにもなじみが薄く、そのネーミングもとても垢抜けないものだったためか、国内でなるべく多くの人に使ってもらうためには価格を下げざるを得なかったのだろう。
 これとは別に、アメリカでは初めのうちはなかなか好調であったようで、今でも中古カメラショップでそれなりに売られている。ただし、好調と言ってもその生産台数は5千台程度である。萩谷さんの書かれたクラシックカメラ専科の記事では、アメリカへの輸出が不振なため国内販売に踏み切ったとなっているが、カメラ毎日の72年8月号のレポートでは、アメリカへの輸出が好調なため、これに自信を持って国内販売を実施したことが書かれていた。どちらが真実なのかは分からないが、しばらく好調であったものの、徐々に尻すぼみになりつつあったため国内販売に踏み切ったというところであろうか。いずれにせよ、ノリタは国内よりもアメリカの方で売れたようで、この点アメリカ人は日本人のようにカメラに特別な思い入れがあまりないらしく、単純に良いものは良いとして、ノリタのようなマイナーメーカーのカメラが受け入れられたのだろう。これにはグラフレックスのネームが多少なりとも貢献しているだろうが。
 ネームと言えば、「GRAFLEX NORITA」の他に、ただ「NORITA」としたものと「NT NORITA」となったものが見られる。「GRAFLEX NORITA」はアメリカ向け、「NORITA」は国内・海外の両方、「NT NORITA」は後期に売られていたもののようである。ちなみに、この「NT」はノリタ光学のマークとして色々なところで使われていた。

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 派手さは全くないが、真面目に中判一眼レフに取り組んでいたノリタのイメージは、どこかトプコンに通じるものがある。それもそのはず、ノリタとトプコンは実際深いつながりがある。東京光学出身の車田氏が興したノリタ光学。01年に他社の傘下に入り、社名こそエンプラス・オプティックスと洋風の垢抜けたものに変わったが、東証一部上場企業としてしばらく生き長らえた後、2005年6月に会社は倒産ではなく解散してしまった。

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