トプコンよもやま話4〜トプコンカメラの歴史1

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 トプコンカメラの歴史
 History of TOPCON CAMERAS

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 東京光学機械は第二次世界大戦に突入する前の1932年に、帝国陸軍と精工舎等の力で生まれた会社であることはよく知られていた。当時、光学機器では日本光学と共に双璧をなし、「陸のトーコー、海のニッコー」と称されていた。光学兵器だけでなく、「トーコー」「シムラー」レンズをセミレオタックス等に供給していた。その東京光学が一般向けにカメラを製作したのは1937年の「ロード」からである。それ以降50年間に及び一般向けの小型カメラを製作してきた訳であるが、80年代の半ばに最後の砦であったホースマンからも撤退してしまい、カメラ産業界から完全にその姿を消してしまった。ここではそんなトプコンのカメラの歴史をチャートにして皆さんに御紹介したいと思う。

年 度

モ デ ル 名

特     徴

1937年

ロード
(Lord)

セミ判。蛇腹のスプリングカメラではなく、沈胴式のカメラであった。生産台数は数十台。
1938年 ミニヨンI
(Minion I)
ベスト判のスプリングカメラ。トーコー6cm f3.5付き。ニュートン式ファインダー。
1940年 ミニヨンII
(Minion II)
マイナーチェンジモデル。逆ガリレオ式ファインダー。わずかに戦後も作られた。
1945年 ミニヨンIII
(Minion III)
戦後初のモデル。基本的に前のモデルと変わりはない。シムラー6cm付き。
1948年 ミニヨン35A
(Minion 35A)
東京光学初の35mmカメラ。トーコー4cm f3.5付き。レンズシャッター式。
同年 ミニヨン35B
(Minion 35B)
レリーズボタンをレンズシャッター側から軍艦部上に変更して使いやすくしたもの。
1949年 ミニヨン35C
(Minion 35C)
それまでの24×32の日本判を一般的な24×35の国際規格のサイズに変更したもの。
1951年 プリモフレックスI
(Primoflex I)
最も売れた高級二眼レフカメラの源。トーコー7.5cm f3.5付き。
同年 プリモフレックスI A
(Primoflex I A)

シャッターをレクタスに変更。ネームもダイカスト磨き出しになる。

1952年 プリモフレックスI B
(Primoflex I B)
マイナーチェンジモデル。巻き上げ機構を改良し、一枚目のみ赤窓式で、以降は自動巻き止め。
同年 プリモフレックスI BB
(Primoflex I BB)
トーコーブライトが焦点板に採り入れられる。透視ファインダーも付いた。
同年 プリモフレックスII
(Primoflex II)
高級モデル。ファインダーレンズにトーコー7.5cm f3.2、撮影レンズにJ.シムラー7.5cm f3.5が付き、シャッターもセイコーシャラピッドに。
同年 プリモフレックスIII A
(Primoflex III A)
フルモデルチェンジバージョン。フィルム装填はスタートマーク式になり、ボディレリーズも付いた。レクタスシャッター+トーコーレンズ。
同年 プリモフレックスI C
(Primoflex I C)
III Aの廉価版。ボディが新設計されたが、機構的にはI BBと同じ。
1953年 トプコン35A
(Topcon35A)
ミニヨン35のフルモデルチェンジバージョン。ここから「トプコン」の名が使われた。8cmレンズに交換可能。
1954年 プリモフレックスIV A
(Primoflex IV A)
カウンターが自動復元式になり、シャッタースピード、絞り、カウンター窓が上から見られるようになった。レクタスシャッター+トーコーレンズ。
1955年 トプコン35B
(Topcon35B)
35Aにレンジファインダーを付けたもの。レンズ交換式で、8cmレンズでは巻き戻しノブ基部のリングでピント合わせを行う。
同年 プリモフレックスIII F
(Primoflex III F)
プリモフレックスIV A型の廉価版。ファインダー回りのワンタッチボタンやアクセサリーシュー、フィルムメモが廃された。
同年 プリモフレックスV A
(Primoflex V A)
プリモフレックスIV型のグレードアップバージョン。ファインダーレンズにも絞りが設置された。トプコール7.5cm F3.5付き。
1956年 トプコン35S
(Topcon35S)
新設計の35mmレンジファインダーカメラ。レンズシャッター式。等倍のファインダーを持つ。
同年 プリモフレックスオートマット
(Primoflex Automat)
初めてオートマットを採用。クランク巻上げで、シャッターチャージされるようになった。ボディも一新された。
1957年 プリモフレックスオートマットL
(Primoflex Automat L)
シャッターがセイコーシャMXLになり、本格的なLVが装着された。最終モデルはセイコーシャSLVが付く。
同年 トプコンR
(Topcon R)
トプコン初のフォーカルプレーン機。日本で三番目の本格的一眼レフカメラである。ブリュッセル万国博特別賞受賞。
同年 トプコン35L
(Topcon35L)
トプコン35SにLV(ライトバリュー)を加えたもの。外付けのセレン光式露出計と連動。ブースターも用意された。
同年 トプコン35JL
(Topcon35JL)
L型の廉価版。レンズが4.4cm f2からf2.8にグレードダウンしたが、その他の機構は35Lと何ら変わらない。
1958年 プリモJR
(Primo JR)
4×4cmのベスト判二眼レフ。トプコール6cm f2.8付き。グレーモデルの他に、後期には露出計組み込みモデルも作られた。
1959年 トプコンPR
(Topcon PR)
日本初のペンタプリズム使用の本格的レンズシャッター式一眼レフ。シャッターを切るとミラーは上がったままでブラックアウトする。
1960年 トプコンホースマン960
(Topcon Horseman 960)
日本初のプレス/ビューカメラ。7.5cmと10.5cm、18cmの三つの交換レンズが用意された。ホースマンプレスとも呼ばれた。
同年 オートマチックトプコンR
(Automatic Topcon R)
トプコンRを完全自動絞りにしたもの。トプコンRIIとも呼ばれる。RはベセラーBであったが、こちらはベセラーC。
同年 トプコンPRII
(Topcon PR II)
トプコンPRを自動絞り化したもの。巻き上げでチャージする。LVも加えられたが、まだミラーとシャッターはブラックアウトしたままになる。
同年 トプコンウィンクミラー
(Topcon Winkmirror)
世界初のクイックリターンミラー付きレンズシャッター式一眼レフ。ボディも一新されて、トプコール48mm f2が付けられた。
1961年 トプコンRIII
(Topcon R III)
RIIに外付け式連動露出計を付けられるように、シャッターダイアルを一軸不回転式にしたもの。輸出名はべセラートプコンCのまま。
同年 トプコンウィンクミラーE
(Topcon Winkmirror E)
ウィンクミラーにセレン光式露出計を組み込んで連動させたもの。コンバージョンレンズは35mm F4と80mm F4が用意された。
1962年 トプコンRS
(Topcon RS)
REスーパーの完成を前に、露出計を省いてとりあえず市場に送り込んだモデル。外付け式の露出計が用意された。H-Fオート・トプコール。
1963年 トプコンREスーパー
(Topcon RE Super)
世界初のTTL一眼レフ。そればかりか初めから開放測光まで達成していた驚くべきモデル。初めからシステムカメラとして設計された。
同年 トプコンウィンクミラーS
(Topcon Winkmirror S)
世界初のレンズ全群交換式レンズシャッター一眼レフ。セレン光式ながら、シャッタースピード優先自動露出も達成。
同年 トプコンホースマン970
(Topcon Horseman 970)
レンズの無限遠ストッパーが三ヶ所から五ヶ所に増え、レンズの選択の幅が増えた。ベッドダウン機構とティルト(アップ)が可能になる。
1964年 トプコンユニ
(Topcon Uni)
世界初のTTL-AE機(シャッター速度優先)。レンミラーメーターを備えたズシャッター式一眼レフで、UVトプコールの交換レンズが揃った。
1965年 トプコンRE-2
(Topcon RE-2)
東京光学で初めてコパルスクェアSを採用したフォーカルプレーン式一眼レフ。ファインダーは固定で、シャッターダイアルはボディ前面に。
同年 トプコンホースマン760
(Topcon Horseman 760)
ホースマン970から距離計連動機構を省いたビューカメラ。左右のシフト機構が組み込まれ、後部も回転させられる。
1969年 トプコンユニレックス
(Topcon Unirex)
カメラ史上最も完成されたレンズシャッター式TTL-AE一眼レフ。ミラーメーターでのスポット測光とアイピース上部での平均測光の切り替え可能。
1970年 トプコンホースマン980
(Topcon Horseman 980)
ホースマン970に左右のシフト機構や下向きのティルト機構が組み込まれた。ファインダー倍率が0.5倍から0.4倍に変更され、65mmレンズに対応。
1972年 トプコンスーパーD
(Topcon Super D)
REスーパーにミラーアップ機構とシャッターロックが付けられたモデル。レンズは黒鏡胴に変更され、プリズムカバーにもシボ革が貼られた。
同年 トプコンユニレックスEE
(Topcon Unirex EE)
ユニレックスからスポット測光を省いた廉価版で、レンズも50mm f2.8になった輸出専用機。レンズシャッター式一眼レフの最終モデル。
1973年 トプコンンスーパーDM
(Topcon Super DM)
スーパーDに絞り直読式のCCファインダーか付けられ、世界初のオートワインダーが標準装備されたモデル。
同年 トプコンホースマン985
(Topcon Horseman 985)
ホースマン980のマイナーチェンジバージョン。開閉がノブ式になり、ヒンジもL字型になって広角レンズ使用の際のシフトに便利になった。
1974年 トプコンIC-1オート
(Topcon IC-1 Auto)
ユニレックスを大改造してフォーカルプレーン化したもの。電子シャッター組み込みだが、シャッター優先式オートである。
1975年 トプコンニューIC-1オート
(Topcon new IC-1 Auto)
IC-1オートに電池の確認ランプを加えたマイナーチェンジバージョン。標準レンズが50mm f2から55mm f1.8になった。
1976年 トプコンRE200
(Topcon RE200)
シンプルなTTL連動縦走りシャッター採用の一眼レフ。REマウント。
1977年 トプコンRE300
(Topcon RE300)
RE200にオートワインダーII型を取り付けられるようにしたもの。
同年 トプコンホースマンVH-R
(Topcon Horseman VH-R)
透視ファインダーが大型化され、視野率が65mmレンズで85%に向上した。レボルビング機構も加わった。
同年 トプコンホースマンVH
(Topcon Horseman VH)
ホースマンVH-Rから距離計連動機構を省いたもの。760と違い、後部のティルト/スイングが可能になった。
1978年 トプコンRM300
(Topcon RM300)
RE300をKマウント化したもので、レンズもAMトプコールとなった。輸出専用機で、さまざまな銘柄で売られた。

 以上でトプコンのカメラ史は終了であるが、この他にホースマンER-1も80年代に作られていた。ただし、すでにトプコンの文字は消えており、ここには加えなかったが、間違いなく東京光学製のカメラである。また、眼底検査などに用いられた医療用のモデルも60〜80年代に生産されていたが、ここでは取り上げていない。さらに、プリモフレックスにはトプコフレックス、ローレルフレックスが、プリモJRにはソーヤ−ズ名のOEM機があるし、後の一眼レフにもそうしたものはそれなりに存在する。それに試作品もいくつか存在するが、ここではあくまでも「トプコン」直系の名を持った、一般向けに販売されたカメラのみを取り上げたので、やはり割愛して別項でまとめておくことにした。

 この表は70年代後半で終わっているが、実際にトプコン名のカメラが生産終了するのは80年代半ばのホースマンVH-Rの生産終了時である。レンズはまだしばらく大判用やER-1用のものを供給していたようであるが、21世紀ではカメラ用レンズを一切作っていない。とても残念な気がするが、こればかりは仕方のないことである。かえって今こうしてトプコンの作ってきたカメラを俯瞰してみると、その製作における執念のようなものを感じる。よくここまで異なるジャンルのカメラを開発し、モデルチェンジしてきたものだ。ここではやはり書き込まなかったが、同名のモデルにも細かなマイナーチェンジバージョンはたくさんあり、それらも含めると膨大な量になる。しかし、一部のメーカーのように、ほとんど同じモデルを外見だけ少し変えて、名前も変えてしまうといったようなお手軽な「モデルチェンジ」はほとんどなく、どれもがしっかりとした「違い」を持っている。ここでは資料の不足から完全にお伝えできなかったものもあるし、スペースの関係でどれも充分な説明はできなかったが、トプコンがここまで努力していたのかということは分かって頂けたと思う。

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